朝総連衰亡史(28)

日付: 2017年02月01日 23時04分

 専制王朝である平壌で、前代未聞の事件が発生した。金正恩は今年の新年辞で、首領独裁確立後、初めて人民に対して謝罪と反省で新年辞を終えた。
「いつも常に心だけであって、能力がついてこないもどかしさと自責の中で去年1年間を過ごしたが、今年はもっと奮発し、全心全力で人民のためもっと多くの仕事を見つけてやる決心を固めるようになりました。(中略)曇りのない清い心で、わが人民に忠実に尽くしていく、人民の真の忠僕、充実なる使いになることを、新年の朝に厳粛に盟約するものです。そして全党に、人民のために滅私服務する革命的な党風を立てるため、力強く闘争していきます。金日成・金正日主義が前途を明るく照らし、党のまわりに千万の軍民が固く集まった一心団結の威力がある限り、われわれの勝利は確定的です」
北韓では毎年、正月になると全人民が新年辞を学習させられるため、多忙な期間を送ることになるが、今年は”生き神”である首領が人民に対して反省したため、北韓全域で反省会が展開されているという。今まで首領が謝罪・反省したのは、非常に例外的な場合だけだった。1976年、板門店で北側が米軍将校を斧で殺した事件で韓米軍が全面報復態勢をとったときなど、軍事対決では到底立ち向かえない場合のみ、遺憾を表明する方式で謝るだけで、対象は主に米国だった。人民に謝罪したのは初めてだ。
金正恩が新年辞で前代未聞の反省をしたのは、北韓軍の事情と関連があると伝えられる。金正恩が昨年訪問し、予算を注ぎ込んだ軍部隊は、ほとんど核兵器とミサイル部隊だけだった。そのため、兵士の食料確保にさえ腐心している一般部隊の師団長など指揮官の不満は限界に達したといわれる。そのため金正恩は軍隊の動向に非常に敏感で、自分の住まいや別荘などを警備するために戦車と装甲車を配備し、自分の許可なしに1個大隊でも動けば、これを反逆(クーデター)と見做して過酷な措置をとると知られている。
一方、朝総連議長の許宗萬は、新年の挨拶を通じて、「昨年は、祖国の青史と在日朝鮮人運動の歴史において永遠に記録される誠に意義深い年でした。祖国では、36年ぶりに朝鮮労働党第7次大会が開催され、敬愛する金正恩元帥は全人民の絶対的な支持の中で朝鮮労働党の委員長に、朝鮮民主主義人民共和国の国務委員会委員長に高く推戴されました」として、朝鮮労働党の在日党としての姿勢を明確にした。
特に、水素爆弾実験の成功を強調し、「中長距離戦略弾道ロケットの火星10号と戦略潜水艦弾道弾の水中試験、弾道ロケットに装着できる標準化・規格化された核弾頭の爆発試験の完全成功などで、わが国は、国家核武力完成の最終関門を通過して、核大国の隊列に堂々と入りました」と平壌の核戦略を擁護した。
朝鮮新報(1月6日付)は、在日朝鮮学生少年芸術団の迎春公演(昨年12月31日、平壌万景台学生少年宮殿)を大々的に報道した。「民族教育の花大門のなかに咲きました」というタイトルで「祖国の愛は温かく」などと報道した。朝総連の初級・中級部生徒93人の平壤公演は、暴君への忠誠を誓う儀式であり、幼い子供たちに強いれるような公演でない。朝鮮新報は、今回の公演が1986年12月以来30回目の公演であることを自慢している。
ところでこの30年間、朝総連の「民族学校」は学生数の大幅減少で統合や廃校になったところが多い。平壤の首領から送られるという「教育援助金」は1980年代の半ばになると、1970年代の3分の1水準に激減している。平壤の首領も朝総連の「民族教育」の後退に対して報告を受けているに違いない。
朝総連はもう率直になるべきだ。首領が人民に対して反省・謝罪するのに、いつまで虚勢を張るのか。
平壤での迎春公演を報告した次の週の朝鮮新報には、「無償化裁判をなぜ、闘うのか」という高校無償化関連記事があった。だが、この問題は深く考えてみる必要もない。朝総連学校に対する支援が問題になっているのは、まさにこの「迎春公演」をもって明らかになる「民族教育」を装った「首領の臣民化教育」が問題になったためだ。
朝鮮新報は「南朝鮮情勢」と関連してサムスン電子の李在鎔副会長を拘束するよう煽るなど、韓国での民衆闘争を伝える記事を掲載し続けている。いつものことだが、韓国の危機を誇張している。だが、すぐにでも人民蜂起が望まれる場所はソウルではなく平壤だ。(つづく)


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