高麗青磁への情熱-80-

求婚(一四)
日付: 2017年01月25日 23時14分

 男は猿の檻の前に立っている人びとに疑いを抱いたのか、そこへ走って行き、誰彼構わず怒鳴り散らした。すると、その人たちが、「あの人だよ」と私の方を指差した。それを聞いた男は猛然と走り寄ってきて、ブランコの私の尻を下駄で思い切り殴りつけた。私は憤然として、
「こいつめ、何をするんだ」
ブランコから飛び降り、男の向こう脛を靴で蹴り上げた。
 「あッ、痛い」と言って、男は下駄を振り上げた。私はその下駄を奪い垣根の向こうへ放り投げた。
「人の下駄を放りやがって、こいつ。さあ、派出所に行こう」
男は私の胸ぐらを〓んだ。
「こいつめ。派出所と聞いて怖気づく俺とでも思っているのか。さ、行ってやろう」
私もその男の胸ぐらを〓んだ。お互い押しあいへしあいしながら、派出所に飛び込んだ。四丁目にも派出所はあるにはあったが、ここは劇場が何軒もある繁華街で喧嘩が絶えず、新しく建てられたという派出所だ。
男が先に入って興奮口調でことの次第を喋りまくった。目の前の巡査は男から聞いたとおりに記録し、それから私を見た。
「おまえ、日本語わかるか?」
「ぼく日本語わからん」
「わからんなら、困るね」
巡査は首を傾げながら考えていたが、やがて道行く人たちに訊くのだった。
「おまえ、日本語わかるか?」
「わからないね」
たいがいの人は、そう答えた。
すると、李巡査が巡察(パトロール)からちょうど戻ってきた。李巡査は四〇を少し越えた歳で、この一〇年間たったの一度も人を捕らえたことのない、別名「生き仏」と言われた人だった。
「李巡査、こんにちは」
私が先に知ったかぶりをした。
「ああ、元気かね? ところでなぜこんな人だかりなんだ?」
李巡査はわざとらしくそう言ってから、私の方を振り返った。
「こいつ、また喧嘩したな。おまえはいつも日本人とばかり喧嘩をする。この巡査は日本人の中でもケチで通った男だから、これはことだぞ」
と言うと、派出所の中に入っていった。
「おまえ、日本語わかるか?」
日本人巡査が咳き込んで李巡査に訊いた。
「ほほう、これはこれは。俺がいつ日本語ができるって言った?」
そして李巡査は暫く突っ立ったまま、あたりを見回していたが、また巡察に出かけた。


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