朝総連衰亡史(25)

迎春(ソルマジ)公演という犯罪
日付: 2017年01月01日 22時54分

 人間は文明が生まれた時から新年を祝ってきたようだ。理由はいろいろあるだろうが、「希望」が最も大きな動機だっただろう。もっといい暮らし、より安全な生への期待があったはずだ。
「首領たち」が統治してきた北韓での新年はどうか。「首領」と労働党は毎年、全人民に新年の目標を提示し、人民は、首領たちの銅像に花束を捧げることで新年を始める。だが、解放から72年間、北韓は後退してきた。日本の植民地時代よりも、朝鮮王朝の末期よりも貧しい。
韓国や周辺国に比べて相対的に貧しいという意味ではなく、北韓住民の身体は朝鮮王朝末期よりも矮小になった。植民地から解放されたとき、ほぼ同じだった南北住民の平均寿命と体格は、72年間で、寿命は北韓が南韓に比べて11歳も短く、体格は同じ民族とは考えられないほど差がついた。北韓の男子の入営基準は140センチだが、南韓では歩兵戦闘兵の入営基準が165センチだ。南韓は1945年から未来に向かって72年間前進してきたが、北韓の若者は過去に向かった。北韓の青年たちは、45年の72年前、1873年の朝鮮人よりも低身長になった。
平壌は自分たちが貧しくなった理由を、帝国主義勢力のせいだと言い訳する。だが、北韓が後退したのは、文明社会を拒否し、人民を搾取するスターリン主義によって出発したからだ。金氏王朝は人民の膏血を絞って生産したすべての産物を、首領の偶像化など独裁体制の維持と、世界中へ革命を輸出するため消尽した。人民に対する社会主義配給体系は、20年前に崩壊している。
首領の所有物となった労働党および住民たちと同様、朝鮮総連組織は、新年の計画を自分たちで立てられない。労働党中央党の方針を待たねばならない。平壌の中央党も新年になる前に方針を立てて具体化することはできない。首領の新年辞が先に発表されねばならないからだ。このような制度の中で、新年になったとして何の希望と発展があるのだろう。労働党などの監視と暴力の下で生きる北韓住民は解放の対象であるが、日本にいる朝総連メンバーはどうして平壌にここまで盲従するのか。
朝総連が首領たちの人質になって盲従するようになった決定的な契機は、1959年の年末から始まった北送事業だ。以降、平壌側は北送者を人質にして、学習組をはじめ、朝総連の各種代表団の形で各界各層を北に呼び、政治洗脳教育をしてきた。
日本が高度成長期に入るや、北送者を人質にした首領は、朝総連を本格的に搾取しはじめた。短期祖国訪問団が始まった1979年以降は、年間数千人もの在日同胞が北韓を訪問した。延べ人数で北送事業以上の人員が訪北したはずだ。
労働党は、朝総連系学校の生徒まで修学旅行で北韓に来させ「首領の社会主義祖国」を経験させよと指令した。平壌の社労青に対応する「朝青」を建設し、朝鮮労働党のシステムを朝鮮大学に移植して後継世代を育成した。
朝総連は祝日(ミョンジョル)ごとに代表団を北へ送り、忠誠を誓ってきた。正月、2月の祝日、4月の祝日、労働党創建日、政権樹立日など、あらゆる名目で代表団を送った。この多くの代表団の中で最も非人間的・非教育的なものが朝鮮総青年学生たちの迎春(ソルマジ)公演だ。
朝総連は2013年12月5日、初級学校から高級学校までの生徒121人と教員7人の在日朝鮮学生少年芸術団を平壌に派遣した。代表団は平壌で猛訓練をして同12月31日、万景台学生少年宮殿で金正恩をたたえる迎春公演に参加した。張成澤が処刑(12月12日)されてから19日目のことだ。血の粛清の直後に独裁者をたたえる祝賀公演に動員させたのだ。朝総連は14年1月6日、「敬愛する金正恩元帥が迎春公演に参加した第28回在日朝鮮学生少年芸術団メンバーたちのため設けられた宴会が行われた」と発表した。
個人が自分の才能をどこに使おうと自由だが、自由にも限度がある。自由を破壊する自由は許されない。同様に、自由を破壊する体制に服務する自由も許されない。犯罪やテロ集団に加入する自由を許す文明国があるか。
国連総会が国際刑事裁判所への付託を決議した金正恩のための祝賀公演に、朝総連はいつまで未成年者を送るつもりか。朝総連は、今年も平壌で開催される迎春公演に在日朝鮮学生少年芸術団93人を送った。(つづく)


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