高麗青磁への情熱-77-

求婚(一一)
日付: 2016年12月14日 23時17分

 その後、ある日本人が優美館を建てて、その四人の弁士を皆引き抜いた。当時徐相昊は悲劇の解説とふざけ踊りを得意とし、金悳経は人情劇に定評があった。一方、李炳祚は活劇の解説にすぐれ、崔炳龍は喜劇の解説に秀でていた。
そんな中で、優美館はまた別のヒット作を上映した。アメリカのユニバーサル映画社製作の長篇、四四巻もの「鳴禽」と、パラマウント社の三三巻もの「ハード三」で、両方とも独占上映したため、高等演芸館は閑古鳥が鳴いた。
 それから暫くして「光武台」主人の朴承弼が東館前に団成社という劇場を建て、優美館の弁士四人と映画までも引き抜いたので、優美館の人気がそのまま団成社に移った。したがって、それまで優美館で待機していた人力車も団成社へと移動した。
映画が終わると、徐相昊は花柳界の女のところに帰った。その後、彼は女の勧めでモルヒネに手を出すようになった。最初は何気なく興味半分にやっていたが、中毒になってしまったという噂だ。
その後彼は、花柳界でも冷遇され、団成社の同僚弁士たちからも疎んじられ、やがてトーキー映画が出ると無声映画が後退し、徐相昊と林聖九は女で身を滅ぼしたのである。
当時、黄金遊園の入園料は二銭だった。午前中に入場しようが、夕方だろうが、一回の入場料二銭には変わりなかった。
正門で入場料を受け取るのが、梅子という一七歳の娘だった。私は二日、三日は二銭で入ったが、次の日は一銭で入ろうとした。
「一銭ではだめです」
受付の娘は頑として聞かない。
「どうしてだめ? 朝来て一日中遊んで晩までいて二銭なら、半日も遊ばないんだから一銭でいいじゃないですか」
「一銭ではだめです」
「いやなら、出さん」
私は一銭を再び受け取りポケットに収めると、鉄棒のある方に走っていった。娘はそこまで追いかけてきたが、人がいたので、そのまま戻っていった。その日はそれですんだ。
次の日も一銭を差し出したが、受付の娘は前日同様「だめです」と言うばかりだった。私も同様にそれをまたポケットにしまい込んで、今度は遊動木に乗って行ったり来たりしていると、彼女は私のところへやってきて無言で私をじっと珍しそうに眺めながら、「なんて乗り方がうまいんでしょう」と言った。彼女は私から入場料を取るのも忘れて、「あたしも、ちょっと乗ってみようかしら」と言った。
「貴女も乗ってみなさい」
「ええ、乗ってみようかしら」
「乗せてあげるから、さあ」
彼女の体を支えて片方に乗せた。


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