求婚(六)
「あら、お菓子も食べないで、何をそんなに深刻に考え込んでいるの?」
まさ子が言った。
「何、眠くなったんだよ。ああ眠い」
私はわざとらしくそう言って、欠伸を大きくしてから、部屋の片隅で横になった。すぐにグウーグウーと、鼾をかく真似をした。
「ねえ、ほんとに眠っちゃうの?」
「眠いといったらほんとに眠るんだよ。嘘寝をする者がどこにいる」
「ああ、嫌ね。寝ないで早く起きてよ。留守番役を頼まれたのでしょ。誰が寝ろって言ったのよ?」
「誰もそんなこと言わないさ。ぼくが眠くなっただけだよ」
「そう言わないで早く起きてよ。留守を頼まれたのに、もし誰かが来たらどうするの?」
「そのときはそのときさ。とにかく眠いんだよ。こんな家を誰かが担いで持って行っちゃうとでも言うのか?」
「誰も家のことなんか言ってないわ」
「じゃ、なんだ」
「もしも、武器でも持ってきたら、どうするの?」
「どうするも何も、ぼくたち二人を放っておいて、持ってく物でもあればみんな持っていけばいいんだ」
「何ですって? それじゃあ泥棒を捕まえようともしないで、そのままにしておくの? そんなことってある?」
「あるさ。命が一番大切だよ。それより大切な物がほかに何があるんだ?」
こんなことを言いながら何とか時間を引き延ばそうという魂胆だった。劇場は一〇時に終わるから、一〇時半には帰ってくるだろうと思ったのだった。
だが、時計はいまいましく、こんなときによりによってなかなか進まない。やっと九時だ。まだ一時間半はここにいなければならないのかと思うと、いささかやりきれなかった。
ふくれっ面のまさ子は怒りを抑えきれず、顔の色が赤くなったりくなったりしていた様子だった。
「ねえ」
まさ子がやさしくささやくように言った。
「眠くてたまらないのに、なぜそう呼びつけるんだ?」
「そんなにそっけなくしないで、やさしく話でもしてちょうだい」
「話すこともないのに、何を話せって言うんだ?」
「じゃあ、あたしが話すから聞いてくれる?」
「ああ、聞くだけなら、聞いてやるよ」
「じゃ、眠らないで聞いてね。あなたが、人の話を聞かないで寝ちゃうかと思ったからよ」
「聞くか聞かんかは、話によるよ」
「じゃ、話すわよ。ほんとうに聞いてね。うん。ある村に住む未亡人が一人娘を手塩にかけて育て、一八、九の歳になりました。話を聞いてる?」