大韓民国の建国史(48)

戦争指導者としての李承晩大統領
日付: 2016年11月02日 00時54分

 アチソンの報告を受けたトルーマンは、いかなる手段を使っても北韓軍を阻止することと、アチソンの建議どおりすぐ国連安保理を招集するよう指示した。トルーマンは直ちにワシントンに行くと言ったが、アチソンは夜間飛行は危険なので、夜が明けたら出発するように止めた。
李承晩は6月25日の夜を座ったまま明かした。北側のYak機がソウル上空に現れるたびに空襲警報が鳴った。戦況が悪化して、李承晩は26日午前3時、東京へ電話してマッカーサー元帥を起こした。副官が就寝中の元帥を起こせないと言うと、李承晩は「韓国にいる米国市民が一人ずつ死んでいくから将軍をよく寝かせろ」と怒鳴った。驚いた副官がマッカーサーを起こし、李承晩は自分の警告を無視した米国当局を非難し、緊急支援を要請した。マッカーサーは、武器支援を約束した。
6月26日午後2時、李承晩は軍と治安局から戦況報告を受けた。敵機のソウル空襲は続いた。27日夜から在韓外国人と軍事顧問団が撤収した。李承晩は午前1時に駐米大使館に電話し、張勉大使に直ちにトルーマンに会って軍事援助を要請するよう指示した。奇襲南侵から国を救うため、李承晩は参謀の助言や補佐なしに、ただ一人で最善の措置を取った。
ソウルの北の要衝の議政府が人民軍に落ちると、大統領の避難が検討された。26日夜9時、金泰善ソウル市警局長が大統領に、「西大門刑務所に収監中の数千人の共産分子が脱出すれば危険なので、閣下が一時避難して戦争を指導すべきです」と報告した。何度進言してもソウル死守を主張した李承晩も、敵の戦車が清涼里まで来たという報告を受け、27日の午前3時30分、特別列車で漢江を越えて南下した。しばらく眠っていた李承晩は、列車が大邱に到着し、ソウルがまだ占領されていないという報告を受けるや、列車をソウルに戻せと指示する。
列車が北上して大田駅に到着したとき、米大使館参事官のドラムライトがムーチョ大使に代わって、国連が北韓に対する軍事制裁を決議したことと、トルーマンの海・空軍出動および緊急武器援助命令を伝えた。忠南知事官邸で大統領一行はようやく食事をした。ムーチョが大統領を訪ねてきて、国連安保理で、ソ連が拒否権を行使しなかった経緯と米国の積極的介入の方針を説明した。「国連安保理にソ連が欠席したことこそ幸運です。神が韓国を捨てていない証拠です。戦争はこれからあなたの戦争ではなく、われわれの戦争になりました」と言った。戦争の方向を示す含蓄のある言葉だった。
李承晩は国民に戦況を知らせるべきと考え、広報処長の李哲元と相談してソウル中央放送局に電話をかけ、6月27日夜10時に放送をすることにした。もうすぐ10時だ。李承晩は、「国連と米国が、われわれを助けて戦うことにした。今、武器と軍需品を運んでわれわれを支援し始めているから、国民は辛抱して耐えていれば、敵を追い払えるから安心せよ」という趣旨のメモを読んだ。ソウル中央放送局は、この演説を録音してそのまま放送した。放送中に放送局は撤収を急いだ。
夜11時を少し過ぎて放送は終わった。当直のアナウンサーは大統領の談話録音テープをかけたまま放送局を抜け出た。6月28日午前2時頃、北韓人民軍便衣隊が放送局を占領した。ソウルの中心部に人民軍が入る直前の深夜の2時半に、漢江にかかる橋は陸軍工兵隊によって爆破された。(つづく)


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