今まで紹介した朝総連の対南工作のごく一部の事例からも確認される非人間的な残酷さなどは、一体どこに由来し、培養・確立されたものだろうか。朝総連は彼らが神として崇める金日成が創始した主体思想からだと主張するが、それは全部労働党が作った神話だ。
朝総連幹部や対南工作員らは、あまりにも強力な洗脳のため、自分たちを盲目的な機械、悪魔の奴隷にした体制についてほとんど自覚していない。「金氏王朝」の原型は、解放後ソ連占領軍によって北韓に移植されたスターリン主義だ。スターリンの赤軍が占領した東ヨーロッパなども事情は同じで、要するに、社会主義国家らが共有した野蛮な暴力文化なのだ。金日成は、この野蛮な暴力体制を移植したスターリンの手先だっただけだ。
朝総連の悲劇であり、かつ赦せない犯罪は、反日感情から平壌の路線を支持・追従するのにとどまらず、「朝鮮労働党の在日党」としてこのスターリン主義を日本に移植する努力をしたことだ。仮に、ソ連が日本を占領したとしてもどうせ失敗することを、彼らはソ連が崩壊した後も続けている。
この全体主義独裁体制は、暴力によらなくては維持できない。全体主義は個人の自由を前提とする自由民主主義とは並存できないのだが、朝総連は反日民族主義をもって自分たちの正体を必死に隠してきた。
「金氏王朝」では人間は一つの部品にすぎない。朝総連によって対南工作に動員された工作員たちの運命は、組織が決める。これはソウルオリンピックを妨害するため、金正日の親筆指示で大韓航空機を空中爆破させて乗客乗員115人を殺した金賢姫がテロ工作員として選抜・養成された過程と驚くほど似ている。
朝総連は今もこの爆破犯罪を韓国当局の自作自演と主張するが、平壌外国語大学日本語科2年生だった金賢姫はある日、労働党の「召喚」で、自分の意志と関係なく、「革命戦士」になった。当事者の金賢姫はもちろん、親も何も言えなかった。多くの朝総連組織員が同様に対南工作員になった。
一度「革命戦士」として朝鮮労働党と繋がれば「首領」に忠誠を誓う秘密の儀式を行う。この時に強調されるのが「自爆精神」だ。今、世界各地でテロ集団が自爆テロを起こしているが、自爆攻撃を反西欧文明の闘争手段として美化した始祖が平壌であるのは明白だ。
「自爆精神」の世界では、人間性や常識や良心などは、革命闘士が克服すべき弱点であり障害である。嘘と冷酷さこそが革命闘士の美徳だ。朝総連の対南工作の「成功作」の一つである金大中と韓統連工作でこの偽と冷酷さの例を見てみよう。
1970年代初めから金日成と「連邦制」の用語を共有していた金大中が、1973年に東京で拉致されたとき、金大中と韓統連工作を担当していた朝総連に平壌から指示がきた。当時、金日成の後継者として労働党の対南部門を掌握していた金正日は「革命闘争の過程で犠牲は付き物だ」と言い、朝総連の動揺を遮断しようとした。当時朝総連中央社会局に所属していた張明秀氏は当時の状況を次のように記している。
◇
その日、ちょうど風邪をひいて家で寝込んでいた私は、総連中央からの緊急電話で叩き起こされた。
「金大中を拉致した連中はすでに日本を出たのか、いつ出るのかを知ることはできないか」
帰国事業に従事していた私なら日本の出入管理局に顔もきくだろう、というわけだ。それにしても、あまりに無理な注文なので、そのまま放っておいて幾日か寝込んでから総連に出勤した。すると、朝礼の集会で朴在魯副議長が金大中拉致に触れてこう言った。
「革命闘争の過程ではあのような犠牲はありうることだ」
世間はまだ金氏の行方を案じて皆心配していたときである。私はこの朴の冷酷な言明を聞いて彼の人間性を疑うと同時に、金大中氏を「革命の闘士」扱いしたことに驚いた。私はこのとき初めて、北・総連と韓民統の影でのつながりを感じとったのである。
「韓民統」が北の回し者の団体であったことは、七九年一月に「韓民統」を脱退した趙盛済氏(中央委員兼財政委員長)が、「七六年八月、北朝鮮から活動資金として一億円の支援をうけた」(「日本の中の38度線」より)と証言していることからも明白である。(『徐勝 「英雄」にされた北朝鮮のスパイ』87ページから)
(つづく)