高麗青磁への情熱-66-

日付: 2016年09月14日 09時44分

日本人女性、まさ子(二六)

 主人の歌が終わるとみんな「うまい、うまい」と喝采し、拍手を送った。次は百花園主人の今村の番だった。彼は「タムバク打令(いわばマクワウリ節)」を唄った。
始まり、始まり、タムバク打令の始まりだ。タムバクや、タムバクや。お前の国がなんだって、大韓の国にどうしてやって来た。……大韓の国を見物に来たのか。銀を持ってきたのか、金を持ってきたのか。銀もなく金もなく、タムバクの種だけ持ってきたのか……
うまい、うまいと再び拍手の嵐が沸いた。
次は私の番だった。私は流行の「変わりはてた世の中」を唄うことにした。この歌は朴春在が作詞したものだ。朴は当代の名歌手で、才談(漫談、一人漫才)もこなした歌い手だった。当初は語りだけしていたが、あちこちで妓生らが節をつけて唄い始め、そして流行したのだった。
変わりはてた世の中に出逢い、私の望みはどうなるのやら。富貴と栄華をきわめれば望みも叶えられるのか。青い空、明るい月の下、よーく考えて見れば、世の中万華鏡は春の幻のそのまた夢のよう
またもや拍手の音が大きく起こり、みんな愉快に一夜を過ごしたのだった。
窯の火を消して三日後、中の物を引き出した。先ず何よりも気がかりなのが、記念盃だった。しかし窯から姿を現した記念盃は予想以上によくできていた。色もよく出ているうえに、どこにも傷一つなく透明感に満ち、つるつるしていた。
主人はこの上なく喜んだ。期限内に納品できることもそうだが、製品が予想以上に気に入った。
主人は後日、製品もそうだが期限内に納品できたということで表彰状までもらってきた。
主人は満面に笑みを浮かべて、従業員を順番に呼ぶと、月給も上げ、特別手当もくれた。石田には一二円だったのを一五円にし、さらに二〇円の手当を加えた。そして他の者たちも同じようにした。
主人は私の月給を、九円から一二円にあげてくれながら言った。
「柳君がこのたびの記念盃作りに努力してくれたことを考えると、石田君の月給より何倍もたくさんあげても惜しくない。でも我々日本人は年功によるので、やむを得ない。この点よく理解してもらいたい。それでも、柳君にだけは別途に毎月一〇円ずつ余計にあげることにするので、これだけは誰にも言わないでほしい。そして、柳君に残念に思われちゃいけないから、別途に特別賞与をあげたいからだまって受け取ってくれないか」
主人は二〇〇円を出した。私はこの金額にびっくりして、ただ「ありがとうございます」と言うだけだった。私はそのお金で、黄金町(現乙支路)七丁目の家を一五〇円で手に入れた。以後、戸籍をこの住所に移し、その後ここが私の本籍地となった。


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