朝総連衰亡史(12)

若い対南工作員の精神世界、その彷徨
日付: 2016年09月07日 09時47分

 前回、元朝総連活動家が告発した朝総連の対南工作実状として張龍雲の例を紹介したが、同様な経験を持つ朝総連活動家出身の証言として、勧めたい本に張明秀氏の『徐勝「英雄」にされた北朝鮮のスパイ』(1994年12月、宝島社)がある。この本も、自分が直接経験した内容をはじめ、数多く事例を紹介している。著者は、自分の主観的偏見を排除しようとしたのか、言論媒体の報道内容を主に引用している。この本の良さは、メディアに報道された事件を、また一般人は報道を読んでもその意味を正確に理解し難い内容を、自分の経験を通して事案の核心的意味を分かりやすく説明していることである。
この張明秀氏の告発は、いずれ紹介することにし、今日は『在日の精神史』を執筆した著者の告白を紹介する。彼は大学院の修士と博士課程に在籍したとき、地下組織の若い工作員として自分が経験した状況を克明に回顧した。朝総連の対南工作に従事した人々は本当に多いが、そしておそらくほとんどがこの本の著者のような心理を経験し、そして「工作員」として著者と同じ葛藤を経たと思われるが、真剣に自分自身を見つめ、観察して記録を残した人はほとんど会えない。韓国でも逮捕された工作員や転向したスパイなどの手記が少なくないが、ここに引用する『在日の精神史』の内容のようは精神的経験を記録した本は珍しい。それで、若い在日工作員が経験した精神世界の貴重な証言だ。
「指導員」とは東京で二度ばかり会っただけで、すぐに二〇歳くらい離れた「お兄さん」に引き継がれた。この人が上司であり、教師であり、連絡員であった。どこの誰だか、名前ももちろん知らされず、喫茶店で「教育」が始まり、毎月生活費を渡された。生活費といっても実際には月三万円ほどで、貧乏暮らしには変わりなく、学費その他を、毎日のアルバイトでせっせと稼いだことを覚えている。「教育」は何よりも「首領論」の勉強から始まり、それに終始したという感じであった。いわゆるマルクス・レーニン主義の著作は私が勝手に読めばいいという程度で重視されなかった。金日成の著作では、党代表者会議での南朝鮮革命論とインテリ政策の重要性を説いた二つが重視された。私に接触するのはひとりだけで、朝鮮語の勉強も自分一人でするしかなかった。自分に期待されているのが何か、ようやく分かっていったが、具体的な任務はまったく指示されず、ただひたすら、「学習」に励むだけであった。当然どこかの「線」の上にいたはずであるが、実際には自分がどの位置にいるのか、上部が誰なのか、そして「北」と繋がっているのかどうかさえ分からなかった。どこからも切り離された青春、それをかろうじて慰めるのは「革命」への情熱、「祖国統一」への執念であったと言いたいところであるが、いま思うと、それはまったくの幻想にしか過ぎなかった。理性の麻痺というべきか。
私は、最初、総連が対南工作、革命路線に積極的であったことも知らなかった。韓国で母国留学生が捕まり始める前だったので、「在日」の学生が南に浸透していくということも知らなかった。ただ朝鮮労働党第二回代表者会議での金日成の演説で、南での前衛党建設の手法が具体的に述べられていたので、私の任務もそれと関連したものであろうと推測はしていた。当時、「在日」の多くの者にとって、共和国・金日成・社会主義は希望であり、夢であり、未来のすべてであった。「祖国」はそれらのすべてを含む「大義」としてあった。しかし、私の青春時代、組織の人間としての「高揚」と、日常生活に巣くった「闇」の同時存在は、精神の内奥で乖離・対立し、「孤独」「空虚」といった得体の知れない不安感を抱かせつづけることになった。いつも何かに憑かれたように、空洞のど真ん中にいたとう感じであった。(中略)
当時、私は確かに、ときに「選民意識」をもったが、それは他に対する優越意識というよりも、自己を支える意識、自己納得の理屈として機能したのではないかと思う。むしろ私の精神世界は、ひたすら何かを待つ閉塞感に満ち満ちていたはずである。まだ若くて世間も分からないときに、いきなり「使命」を与えられて、深刻な状況に陥った。身体的にそして精神的にどん底の状態になり、見方によっては、夢遊病者のようにさまよい歩いていたのかも知れない。(以上『在日の精神史3』114~116ページから)。(つづく)


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