長い間、アチソン宣言が6・25戦争を引き起こしたという指摘が主流だったが、近年、アチソン宣言のこれまでの解釈は間違っていたという主張が提起されている。許東賢(慶熙大教授)は、「アチソンが韓国を米国の防衛線から除外したという主張は、7700単語の長い演説の一部分だけを恣意的に強調した結果だ。アチソンは、韓国を放棄するという話を決してしていない」と言い、アチソン宣言の核心をこう説明する。
「韓国と台湾が軍事的に侵略されれば、まず攻撃された国民がこれに立ち向かって戦わねばならないが、その次は決して葦のように弱くない国連の憲章に基づいてすべての文明世界が介入すべきだ。韓国に対する援助放棄や中断は最も徹底した敗北主義であり、アジアでの米国の利害関係に対する最もばかげた措置だ」
故・金一榮(成均館大教授)も、自著『建国と富国』の中でアチソン宣言をこう解釈している。
「韓国と台湾を防衛線から除外させることで、財政支出の削減を主張する軍部をなだめながら、北進統一や本土修復を叫ぶ李承晩と蒋介石の無謀な冒険を牽制し、同時に国連を巻き込んで両国の安全を確保するという多目的発言と見るのが妥当だ」
金永明(翰林大教授)はアチソンの演説は韓国への防衛を明らかに放棄してはいないが、南韓と北韓の両方に大きな影響を与えたと指摘する。南韓当局は、韓国を米国の防衛線に入れられなかったため動揺し、北韓首脳部は、同じ理由で鼓舞された。ジョン・メリル(元国務省情報調査局北東アジア局長)がインタビューした元北韓言論人によると、金日成はアチソンの演説内容を聞いて大いに喜んだという。
だが、アチソン宣言をいくら善意で解釈しても、その核心は、米国防衛線の外側にある大韓民国の防衛は、まずは韓国民の責任で、次に国連の責任という意味だ。アチソン宣言発表直後、アジア各国に駐在する米国の外交官は、台湾陥落に備えた声明書を準備するよう訓令を受けた。米軍部もアチソン宣言によって、台湾が中共に渡されるのを当然と考えていた。この頃、米国のメディアに、次のような題の記事が掲載された。
「トルーマン、共産党に攻撃してくるよう招待した」
韓国を米国の防衛線から除外する発言をしたのはアチソンが初めてではない。1948年3月5日、極東軍総司令官のマッカーサーと国務省政策計画室長ジョージ・ケナンと米国の防衛線から韓国を除外することで合意した。マッカーサーは1949年3月の記者会見で、アチソンと同じ発言をした。
李廷植(湖南大教授)は6・25戦争は避けることもできた戦争だったと指摘する。米国の賢人たちが「韓国を防衛する。韓国を攻撃すれば、米国が黙っていない」という話をしていたら、戦争は起きなかったはずという主張だ。不幸にも、米国は1950年6月25日の前にこのような発言をしていなかった。
状況が切迫していた1950年3月、李承晩はロバート・オリバーに、南侵に備えて韓国の国防力を大幅に補強せねばならないという手紙を書いた。
李承晩が米国の軍事支援獲得に必死だったとき、スターリンは1950年3月30日から4月25日まで、モスクワを秘密訪問した金日成に武力南侵を承認した。スターリンは、徹底した戦争準備が必須であるという点を強調。具体的な南侵計画まで金日成と協議した。
(つづく)