家族を連れて韓国入り

駐英公使亡命 金正恩体制に大ダメージ
日付: 2016年08月31日 11時18分

 恐怖統治からの脱出に金正恩体制の核心層が加わった。駐英公使を務めていた太永浩一家の脱出は、報道された限り、1997年の駐エジプト大使・張承吉一家の亡命以来の家族連れの計画的な脱出だ。ヨーロッパ地域の最重要公館の党秘書の脱出は、一公使の亡命ではすまされない事件だ。
太公使一家が駐英北韓大使館を離脱したのは7月中旬。発表はその約1カ月後のことだった。このニュースは金正恩体制の耐久性に疑問を抱いてきた世界を驚かせた。太氏は駐英大使館で大使の生活まで総括する公館内の党秘書といわれている。
平壌の朝鮮中央通信は亡命が公表されてから3日後の20日、太氏が破廉恥犯罪容疑をかけられていたため逃亡したと発表。「人間のクズ」とののしった。
今年4月には、中国内の北韓食堂から女性従業員ら13人が集団で韓国へ帰順したことが話題になった。北韓当局は5月に亡命女性らの家族の会見を開き、「南朝鮮による組織的な誘引・拉致行為」と非難した。女性従業員らは誘拐の被害者、太氏は北韓の反逆者。対照的な対応となっている。
これについてある北韓専門家たちは「北は故・黄長燁書記が亡命した際、最初は誘拐だと主張していたが、ほどなく『裏切り者』と呼んで命まで狙うようになった。今回の太氏は駐英大使館の『党秘書(細胞=責任者)』と一部で報じられているが、事実上の責任者だったようだ。平壌側の衝撃や混乱は計り知れない」と指摘する。
「党細胞」とは党生活を取り仕切る責任者で、内部では大使以上の権限を持つ。大使でも党員としての生活態度などは党細胞に毎週報告するといわれる。太公使の出身成分は、今回一緒に脱出した夫人と同様、北韓で最高級の待遇を受ける「抗日パルチザン」家系だという。
太氏の駐英歴は10年に及んでいた。異例の長さであることが、平壌当局の太公使への信任を物語る。
太氏の亡命の動機は、北韓政権への嫌気、韓国の自由民主主義制度への憧れ、息子の将来の3つと伝えられている。そして、国際社会の対北制裁が強化されたことで、本国からの外貨稼ぎのノルマを達成できず、それが心理的に大きな負担となった可能性もある。
内外の専門家たちが指摘するのは、太氏が亡命前から韓英情報当局者と接触していた可能性が高いことから、高級情報の流出が金正恩政権に与える影響の大きさだ。金正日時代から北韓の「ロイヤルファミリー」と関係があり、そこで得られた高級情報が、外部へ渡っていたと考えられる。金正恩体制のレジームチェンジを視野に入れている韓米同盟にとって非常に有用な情報も期待できる。
韓国メディアが伝えているように、玄鶴峰駐英大使をはじめ、北の外交官などの大規模な召還命令が下ったのは間違いない。いくら監視を強化しても、処罰を恐れる外交官などの連鎖脱出はもはや防げない。
特に、金正恩の秘密資金を管理する人物らは脱出後の生活対策が容易であるため、亡命の成功可能性が高いといわれる。平壌のメディアらが太氏の「国家資産の横領」を言っているのも、金正恩の統治資金管理者たちの「失踪事件」が相次いでいることを暗示すると見られる。
監視が強まれば強まるほど、脱出への欲求は高まる。金正恩政権が今まで行ってきた「恐怖統治」が、皮肉にも自らの首を絞めることになりつつあるといえる。


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