朝総連衰亡史(7)

対南「革命戦士」はいかに獲得されたのか
日付: 2016年07月13日 14時56分

 朝総連は結成大会の際「民主民族教育を強化発展させよう」というテーマの教育方針を策定したという。その内容の第一が「すべての青少年を共和国に忠実な息子、娘に教育しよう」だった。ここでの「共和国」とは、北韓で考えることが許される唯一の存在、首領‐金氏一族を指す。つまり、子どもたちを首領の息子や娘として育てていこうという意味だ。
朝総連の各種記録は、朝鮮大学校の設立目的を一貫性のある民族教育体系の確立、朝総連活動のあらゆる分野で指導的役割を担う中堅幹部の養成、朝鮮学校の教員養成としている。つまり朝鮮大学校は、朝総連組織のための存在だ。言い換えれば、平壌から朝総連に送ってきたという首領たちの教育援助金の性格は、朝鮮労働党「在日支部党」の建設および運営資金だったのだ。
朝総連が朝鮮学校ではなく、日本の高等教育課程に通った在日同胞学生たちを共和国に忠実な息子と娘に育てるため作った組織が留学同だ。「労働党在日支部」である朝総連としては、朝鮮学校で養成する青少年たちより、留学同出身者の方が使い道が多かった。

留学同は第2の朝青
数多くの留学同出身が「労働党在日支部」の秘密党員になり、対南「革命事業」に身を投じた。朝鮮大学校出身をはじめ、朝総連の核心幹部たちが自分たちの後継として留学同出身者を獲得・養成することに人生を消耗した。
韓国で逮捕された多くの「在日良心囚」の中には、留学同の先輩などにリクルートされて、革命家への道に入った者も少なくない。人間としての自由な精神を捨てなかったインテリたちは、硬直した労働党員として生きることを拒否し、過去を清算、組織を離れたが、この闇の世界と決別する勇気のない人々は、最後まで組織の部品として消耗されていった。
そもそも朝総連組織から給料をもらいながら、「社会主義祖国」、つまり党の命令に従って服務したことのない人がいただろうか。朝総連とその別働隊の韓統連は1970年代以降、「在日良心囚」は韓国当局のでっちあげだと主張しているが、彼らのうちどれほどが朝鮮労働党と全く接触がなかったと自ら言いきれるだろうか。
統合進歩党工作を通じて韓国の国会議員になろうとした康宗憲や、暴力によって政治犯に仕立て上げられたと言った徐勝などがスパイであったことは、誰よりも彼ら自身が否定できないだろう。彼らを発掘し、時間と努力を費やして「教養」した朝総連活動家たちもよく知っていることだ。そして、彼らの工作活動は、平壌に詳細に記録されている。遠からず、すべてが明らかになる。
朝総連の本分は対南工作
平壌の指示に従って対南工作に従事した朝総連幹部や知識人の一部は、自分の経験を告白した。彼らは朝総連や平壌の3号庁舎から裏切り者と非難はされても、公開した内容がウソだと責められたことはない。元朝連中央本部の財政局副局長だった韓光熙が書いた『わが朝鮮総連の罪と罰』が捏造だと主張する朝総連幹部を見たこともない。新潮新書で出された『朝鮮総連』(金賛汀著)などに生々しく書かれた工作活動などは、朝総連が遂行した対南工作のごく一部にすぎない。
朝総連中央本部の副議長の一人は、組織の対南工作を束ね総括する仕事担当だという。ただ、組織から独立して運営されるネットワークこそが韓国にまで浸透する工作線といわれる。
「留学同」社会には、公然の地下活動の仲間、先輩後輩関係の人脈が存在する。情緒的・物質的に困難な状況に置かれていた多くの若者たちが「留学同」という「労働党在日支部」に加入した。
韓国では20歳になれば兵役の義務を果たすため入隊するように、朝総連も革命のための戦士になる義務が課せられていた。「労働党在日支部」は対南工作のための存在だった。同胞の権益のためなどというもっともらしい活動は、対南工作活動のためのカムフラージュにすぎなかったといえる。
最も悲劇的ケースがまさに留学同だった。せっかく朝鮮学校に関わらなかった若者たちが、ジャングルの中で網を張って餌がかかるのを待っていた毒蜘蛛に捕らえられた昆虫のように、朝総連はあらゆる状況に罠を仕掛けて餌を狙っていたのだ。
(つづく)


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