李承晩政府は左翼暴動とパルチザンを討伐する過程で、10万人ほどの人命被害を出した。討伐作戦に莫大な予算を投入したため、深刻な経済危機に陥った。討伐の任務を担う戦闘警察隊の創設計画は、そのため取り消しになった。
米国政府は、李承晩の権威主義的統治と財政的無能に憂慮を表明し、ムーチョ大使をワシントンに一時召還した。1950年4月25日には「国会議員選挙を予定どおり実施せず、インフレ問題を迅速に解決しなければ援助を中断する」という外交覚書を発表した。
米国政府は、日本が降伏する前から韓国がソ連の影響力下に入り、共産化される可能性が高いと分析していた。米国務省は日本降伏の2カ月前に、戦争終結時の情勢判断と米国の方針などに関する文書を作成した。この文書は韓国が直面する諸事項を驚くほど正確に予見していた。
「日本の支配が終われば、政治、経済、社会で深刻な混乱が生じるのは疑う余地がない。長い間、日本人や韓国人の地主に搾取されてきた小作人たちは、徹底した農地改革を望むはずだ。現在、韓国人を代表する政府は存在せず、治安の麻痺は経済混乱をもたらすだろう。軍事作戦に伴う産業施設の破壊による失業と、日本からの帰国者などのため、おそらく人口の10%以上が失業者になる。
極東戦に参加したソ連軍は韓半島の全部か一部を占領する。ソ連は韓国の一部に軍事政権を樹立し、ソ連で訓練された韓国人が参加する親ソ政府を樹立するかもしれない。ソ連生まれを含む30万人の韓国人がシベリアに住んでおり、ソ連軍には2万~3万人の韓国系がいると伝えられる。
韓国の経済と政治状況は、共産主義イデオロギーの温床になり、韓国人一般が親ソ的でなくても、ソ連の支援を受ける社会主義体制の政策や活動は、容易に一般の支持を得るようになる。米国の対韓政策の基本はカイロ宣言の実現であり、そのためには韓国の政治的将来に関連して中国、英国、ソ連など大国との事前協約と共同行動を模索せねばならない。(中略)韓国人が強力で民主的な独立国家を早急に建設するように援助するのが米国の意図だ」
米合参(JCS)傘下の作戦管理委員会が1948年に提出した報告書は、米軍が南韓から撤退すれば共産党が勢力を伸ばすのは明白で、進入するであろうソ連軍に韓国国防警備隊が対処できるか疑問だとしている。そして赤化される可能性があると警告した。
米軍政の民政副司令官チャールズ・ヘルミク少将は1948年2月、国務省の韓国関連職員らにこう講演した。
「米軍が撤収し日本産石炭の輸入が断たれ、米国産食糧と油類の供給を中断したら、南韓の輸送船団は1週間から10日ですべて止まる。南韓経済は2カ月以内に農経経済に戻り、食糧生産に従事しない900万程度の人は餓死に直面するか餓死する」
さまざまな専門機関の憂慮と警告にもかかわらず、米軍を乗せた最後の船は1949年6月30日に去り、南韓には米軍顧問団475人だけが残った。顧問団の責任者は戦車部隊の指揮官を務めて退役予定のウィリアム・ロバーツ准将だった。ロバーツは韓国軍に戦車を提供しようとしなかった。その理由について彼は、「地形が戦車戦に適していない。道は狭く水田や山を通れないからだ」と説明した。1年後、その主張は全く根拠がないことが証明された。共産軍がソ連製戦車を前面に出して押し寄せてきたのだ。(つづく)