「米国と戦争する」
米国は、師団も不要ということで、戦闘組織の中で最も大きな規模の部隊を旅団に縮小したほどだ。以前は軍団クラスの部隊が遂行した作戦を今は旅団クラスの部隊でできているということだ。つまり在韓米軍は過去にも強大だったが、今はますます強大になったといえる。
そのため、韓半島で戦争を「抑止」する決定的な役割を果たしているのだ。
駐韓米軍のより重要な機能である抑止機能は、在韓米軍の物理的な力だけから出るものではない。駐韓米軍は減り続けて現在2万8000人水準を維持している。2万8000人の米軍は、彼らが持っている物理的な力ではなく心理的な面でより重要だ。北韓軍が奇襲攻撃してくる場合、2万8000人の駐韓米軍が存在しても北韓軍がソウルを占領できるという戦争ゲーム(War Game)の結果もあった。北韓軍は米軍を圧倒することもできるということだ。では、北韓はなぜ韓国を攻撃できないのか。
北韓が韓国を攻撃するなら、それは「駐韓米軍」と戦うという意味を超えて、「米国と戦争する」という意味になる。米国という超大国と直接戦争をしなければならないという負担は、北韓としては本当に耐えがたいことだ。北韓が韓国を攻撃するということは、その瞬間自らの手にはおえない米国との戦争を開始するも同然なのだ。つまり駐韓米軍は2万8000人にすぎないが、北韓には大きな心理的な抑止力になる。韓国軍も強いが北韓軍は韓国軍より少数の米軍により大きな心理的な負担を感じている。だからこそ数字に関係なく駐韓米軍は北韓に対するより確実な抑止力になる。このように、抑止は「心理的過程」として理解すべきである。攻撃する相手がどの程度のリスクを背負う意志を持っているかが戦争抑止の成否を分ける。そのため抑止のための十分な軍事力はどれくらいかという問題に正確な基準は定められないのだ。
在韓米軍は数万人だけの駐屯でも北韓にとって大きな心理的抑止要因になる。では韓国軍はどれほどいれば北韓を抑止できるだろうか。これまでの北韓の行動を見ると、北韓は韓国に米軍がまったくいなければ、抑止される可能性がほとんどないと思われる。もちろん韓国軍は北韓が戦争を起こせば、これを切り返して統一を成し遂げられる防衛能力がある。しかし、北韓が戦争を起こそうとする意図そのものを抑止するほど強くはないというのが現実だ。韓国軍は北韓の攻撃から国を守れる。だが、北韓の攻撃そのものを抑えるには力不足だ。この部分を在韓米軍が補完しているのだ。
朴正熙は、軍事戦略および安保政策においては誰よりも優れた識見を持っていた。駐韓米軍の「抑止機能」を正確に理解していた朴正熙は、駐韓米軍の削減に強く反対し、在韓米軍削減を阻止する方案として韓国軍をベトナム戦争に派遣したのだ。
朴正熙は歴代政権の中で最も激動する安保環境の中で国を導いた大統領だ。周辺の国際環境の変化が深刻で、北韓の挑発は大統領の命を直接脅かすものだった。朴正熙の大統領在任中、青瓦台の職員は、朴正熙を殺害するため派遣された北韓特殊部隊と韓国軍の戦闘の銃声を聞きながら勤務した。この世の中でどの国の大統領が、執務室からわずか数キロの距離から聞こえてくる銃声を聞きながら仕事をするだろうか。そして、そういう状況におかれた大統領のうち何人がジェファーソン式民主主義の指導者として行動することができただろうか。
ところが朴正熙は、このような過酷な環境で大統領職を遂行したにもかかわらず、軍事力より外交を推進し、強硬策よりは対話を強調した。北韓と初めて対話の窓口を開いたのも、北韓と韓国の協商団の相互訪問を可能にしたのも、そして使者を派遣して対話を模索したのも、すべて朴正熙時代に始まったことだ。朴正熙はこのように北韓と接触を試みたが、一つの原則を忘れなかった。大韓民国は自由民主主義の統一国家になるべきだということと、そのためには北韓との競争で勝利しなければならないということだった。朴正熙は目的なしで北韓と対話したのではない。朴正熙は、彼自身の自由民主主義は実行できなかったが、韓半島が最終的に自由民主主義国家として統一されることを目標に北韓と接触した。朴正熙の目標は大韓民国の勝利だった。