民団 大同団結して「祖国の栄誉」を保全
民団は志士が創立した民族団体だ。日本帝国主義の植民地圧制を克服しようと命をかけた志士、国権を失った祖国の独立のために献身した者がたてた団体が民団だ。ところが意外にも現在の民団団員のなかで、自分たちの組織が志士によってたてられた憂国団体という事実を知る人は少ないようだ。世代が変わったとしても、70年の伝統をもつ民族団体の構成員が、自らの歴史を正しく認識していないということは、恥ずべきことだ。
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民団創立1周年と開天節記念式(1947年10月3日) |
民団は出発当初から志士的な組織であった。しかし単純に、元心昌氏、朴烈氏、李康勲氏など独立活動家が創立を主導したという事実自体で片付けることはできない。創立当時発表された文書を一つひとつ分析してみると、相当な教養水準をもつ人が作成し、当時、時代をリードする進歩的な意識が含まれていたということがわかる。
民団が1946年10月3日の創立当日に発表した文書は「在日朝鮮居留民団宣言」と、「本国と各国の大使館に送る決議文」。在日同胞社会に限らず、母国、そして海外各地の外国使節に対しても民団の誕生を積極的に発表した。井の中の蛙のような狭い視点から派生した国粋主義の組織ではないという点、国境と思想を超越して、人類の発展に貢献する国際的な組織を目指すという抱負を込めた。
「私たちは、民衆の要望に応じて、在日朝鮮人の総合体(単一体)として本民団の結成を決議しました。私たちはこれから(日本国内における)在留同胞の代表機関として、民生の安定と国際信義の向上に邁進しようとしています」
本国と日本国内の各国大使館に発送された、民団の決議文に掲載された内容の一部である。この文書の発送者は、元心昌氏と議長の高順欽氏、副議長の洪賢其氏の3人であった。短い文章のなかで、在日同胞の民生安定という現実と、国際信義を育てるという抱負を堂々と明らかにしている。たとえ、日本という外国に居住していても、韓国人としてどのような姿勢で生きていくのか、同胞たちが直面している懸案と課題がなにかを明確に認識していたその冷徹な現実認識に驚かされる。
「宣言書」は、民団をなぜ創立したのか、その内容を圧縮した「創立の目的」と、団員の行動指針といえる「基本要領」を明示した。 「私たちは」で始まる創立目的は3つであった。まず、在留同胞の民生安定を期する。第二に、在留同胞の教養の向上を期する。第三に、国際親善を期する。民団の創立者たちは第一の目的事項として「民生安定」を挙げた理由を次のとおりに説明した。
「本国は、在留同胞の問題にまで手を広げる難しい状況にある。(中略)まず私たちは、この時期の緊急課題を解決しなければならないだろう。ただ、私たちの問題を解決する者は、私たち60万の在留同胞自身しかない。(中略)民団を結成するということは、一致団結して私たちの義務を忠実に行って自治をすることで、私たちと関連するすべての問題を解決して当面の難局を突破して、国際信義を回復し、祖国の栄誉を保全するためだ」
基本要領は9項目で構成された。そのなかを覗いてみるとアナーキズム的な要素が多数含まれている。民団内においてアナーキズム研究分野で元心昌氏ほどの理論と実踐を兼ね備えた人物はいなかった。1920年代初期の日本で大学に通い、アナーキズムに入門して労働運動に飛び込み、1930年代には中国で抗日運動をしてアナーキズムを実踐に取り入れた当事者であった。したがって元氏は、創立宣言書や基本要領の作成に深く関与したとみることが道理にかなう。創立文書の発送者に元心昌という名前が記録に残っていることがその証拠といえよう。次は基本要領にあるアナーキズム的条項だ。
「本団は在留同胞全体をその構成員として包摂し、同胞各自はその決議と執行に参加することにより、均等な機会と平等な条件が確保される」(1項)。「本団は、思想や政治団体ではなく、本国あるいは海外のいかな思想や政治の主流に傾倒しない」(3項)。「本団は在留同胞の協同に基づいた自治組織である」(4項)
つまり、民団の創立者たちは最優先課題として、在日同胞の当面の生活問題の解決を考え、政治思想的側面ではどちら側にも偏ることなく、一人ひとりの人権と自由、平等を前面にだした自由主義を優先した。 創立者たちは宣言書の最後の段落で「一日でも早く諸般の問題を解決し、さらに各方面の進歩向上を促進し、我が民族の偉大な発展を期して、人類理想の達成に貢献したい」と決意を固めた。 (つづく)