「金日成神格化」の記録
朝総連は最初から失敗する運命だった。それは日本の敗戦後、朝鮮人共産主義者がスターリンを「解放者」として受け入れたからだ。
現代史を少しでも知る人ならこの点に疑いの余地はないだろう。朝総連のすべての文書は、究極的には「金日成神格化」の記録でありその道具なのだが、この神格化の出発点である金日成神話の捏造は、スターリンの赤軍謀略機関の作品なのである。
朝総連の公的行事には首領たち(金日成・金正日)の写真が飾られる。いかなる宗教よりも「宗教的」だ。鮮総連は、捏造された金日成神話に自分たちの神話を結合させてきた。朝総連組織の最大の罪は、神話の捏造に積極的に加担した反逆行為ではなく、捏造のために「金日成」の実体を伝えるすべての記録を破壊したことだ。
朝総連の記録は、共産全体主義の中でも最もひどい虚構と捏造、誇張で満ちている。ところが彼らが宣伝・強調したい部分と意図を表している部分を見破ることができれば、逆に彼らが破壊し、消した史実を究明するのに有用な多くの手がかりが見つかる。
まず、朝総連が出版した資料が在日同胞と金日成を連結させる最初の場面を見てみよう。朝総連は1945年8月15日を「偉大な金日成主席が領導された抗日闘争の勝利によって日帝植民地から祖国が解放された日」と記している。
以下、朝総連の公的記録は、朝連(*朝総連の前身)の第3回全体大会(1946年10月14日~17日、大阪)で、偉大な主席を名誉議長に推戴し、同年12月13日、金日成主席が在日同胞に「在日100万同胞たちへ」という初の公開書簡を送ってきたと記述している。当時金日成は、ソ連軍政庁が作った「北朝鮮臨時人民委員会」の委員長だった。
続いて、朝連は第10回中央委員会(1947年5月)で米ソ共同委員会が推進する朝鮮民主臨時政府の樹立を支持し、1948年2月20日、祖国から朝鮮民主主義人民共和国の臨時憲法草案を在日同胞に送って大衆討議が始まったと記述している。また、朝連中総議長団が1948年2月29日、「南朝鮮単独選挙絶対反対」声明を発表し、4月1日には、南北朝鮮政党・社会団体代表者連席会議の招集支持声明を発表したと記録している。そして、朝連第14回中央委員会(4月10日~12日)が共和国の憲法草案を全員一致で支持し、南北朝鮮政党社会団体の代表者連席会議(平壌)へ送る手紙を討議決定し、同会議に朝連代表が参加して討議したと書いてある。
以上の朝総連の公的記述をそのまま信じる根拠は全くない。逆にこれが金日成神話と朝総連神話のために作られたことはすぐわかる。
何よりも疑わしいのは、北韓を占領したソ連軍政の許可なしに金日成との接触ができたという部分だ。少なからぬ朝総連関係者らが今も、当時の日本共産党がやったという「人民艦隊」で朝連が金日成に会いに行ったとの神話を信じている。だが、金日成自ら、当時の自分はかかしだったと告白している。
上記「南北政党・社会団体代表者連席会議」は当初、金九が平壌に提案したものだが、この会議に出席した金九は帰り際、金日成に「趙晩植先生を南韓に同行させてほしい」と言った。すると金日成は「私に何の力がありますか」と答えた。「朝鮮民主主義人民共和国」の憲法は、スターリンが直接批准して下した。誰がこれを審議できただろうか。(つづく)