自主経済の確立
「明日にでも米国の援助と関心がなくなれば、われわれはどんな備えを講じるべきか」、「一日も早く『自主経済』を確立し、自分の生活を自力でやっていくという宿願をはたさねばならない」、「自主! それは『自主経済』以外に達成できる方法はない」などと朴正熙は述べている。
朴正熙は、膨大な金額を援助してくれた米国に対し、その援助は韓国が望んだものではなかったことを指摘する。朴正熙は「最近の米国の援助は、われわれが要望する工業生産施設に対しては渋く、あまり望んでいない消費財分野には積極的だ」と、はっきりした口調で米国を批判する。米国の援助は、韓国がすぐに必要とする内容とは大きな隔たりがあったということだ。
ところが、これはすべて米国のせいだろうか。そうではない。朴正熙は「われわれ韓国側の政策不足と努力の欠如、旧政権の腐敗」も一緒に批判している。朴正熙は「祖国と民族の危機は、もっぱら経済にかかっていることを痛感し、革命以前には暇を見つけては一人の経済学徒としてこの方面を探った。政治にはいくらかの関心を傾けたにすぎない」と、自分の研究熱と知識を控えめに表現している。だが、彼の文を読めば、後進国の青年将校として国家と民族の将来を本当に憂慮しながら勉強に専念していたことがよく感じられる。
朴正熙は経済開発という国家の使命を達成する策がどこにあるのかを知っていた。彼は「われわれの経済問題の解決は、率直にいって、米国の援助を離れては想像もできない」、「したがって、この問題の早急な解決はあくまでも米国の新たな理解と積極的な協力にかかっているといわざるをえない」、「粘り強く誠実な、われわれの血のにじむような努力にかかっている」と述べた。
米国の経済援助政策が韓国の真の発展に寄与しなかったことを批判する朴正熙は、米国が邪悪な意図をもって大韓民国の経済の発展を阻止するためにそうしたのではないことを理解し、説明する。韓国が国力の割に大きな軍事力を維持している理由を「いつ、どこでどういう事態が勃発するかわからない休戦状態であるということや国土統一という課題、さらに米国を中心とした自由太平洋地域において、アジア大陸に構築されている唯一の堡塁という点で、60万の軍隊はむしろ小規模といえるだろう」、「米国もそのほとんどがこの軍事力の維持に使われる援助を続けざるをえず、したがって、われわれとしても、この途方もない不均衡状態を拒むことができないのだ」。
朴正熙のバランスのとれた米国に対する視点は、彼が大韓民国の最高権力者として在職した期間中、彼の対米外交安保政策の根幹をなした。革命を起こした直後、彼の米国への視点は「ありがたい後援者」というものだった。
「米国の対韓援助が韓国経済に非常に大きく貢献したことは認める。だが、このような米国側の誠意にもかかわらず、その援助政策を生かせなかったのは、韓国政府に政策がなく、また腐敗などのため、国家経済の中枢分野が破綻寸前であったためだ」と朴正熙は話している。
米国を適切に利用することで、韓国をより発展させる契機とすべきだという発想こそ、まさに主体的な発想ではないだろうか。朴正熙は誰のせいだと言い訳をするより、われわれがうまくやればできるという哲学で国を引っ張っていった。自分のあらゆる過ちは棚に上げて、米国のせいでこのような事態になったと難癖をつける北韓、そして北の立場に追従する韓国の従北勢力は、自らの問題点を謙虚に省みなければならない。
朴正熙政権18年5カ月10日間は、国際政治において大事件と危機の連続だった。朴正熙はこの危機状況をすべて成功裏に突破した。朴正熙は、韓半島においての戦争を回避し、劣悪な安保状況にもかかわらず、奇跡的な経済発展をなした。
朴正熙の対米外交政策を分析するためには、まず、朴正熙時代の安保環境を理解する必要がある。歴代大韓民国大統領の誰よりも安保が不安定な時代に執権したのが朴正熙だった。
朴正熙政権は韓国の歴史上最も長く続いた政権だ。