反共勢力の強化
今の北韓は主体思想という疑似共産主義国家だが、1960年代初頭、国際共産主義勢力の勢いが盛んだった時代、朴正熙が指摘した反共体制の強化は国家安保体制の強化と同義だった。
特に、韓国社会の理念的混乱がピークに達した当時、内部の敵を掃討することで北韓の侵略を阻止するという意思表示は、まさに国家安保問題を解決する近道だった。
革命公約第2項は特別な意味を持つ。朴正熙は「国際連合憲章を忠実に遵守し、国際条約を履行し、米国をはじめ自由友邦との関係を強化することで、国際的な孤立から脱する」と宣言した。当時、第三世界の国々では、民族主義に立脚した軍事クーデターが頻繁に発生していた。韓国のクーデターもそう見ることができたはずだ。当時、第三世界の民族主義とは反帝国主義を意味し、反米という概念が徐々に成長していた頃だった。1960年代に第三世界で軍事クーデターが盛んに起きた本質的な理由は、第三世界の国々で最も教育を受け、近代化された集団が軍部だったことはすでに指摘した。
大韓民国も当時最もよく教育され、組織された集団が軍部だった。ところが朴正熙は、より確実な自由民主主義の国家を建設することを強調し、そのため特に米国などの友好国との「友好と協力」が重要だと強調したのだ。
朴正熙は、祖国の貧困が革命の理由だったと主張した。彼は1960年代初頭の大韓民国の経済状況に悲嘆して革命を夢見たが、彼が提示した資料は、大韓民国の国家予算のなんと52%が米国の援助で賄われているという凄まじい現実だった。
朴正熙は、革命の所懐を明らかにした本『国家と革命と私』で、「国家運営の基本である国の予算さえも半分以上を米国に依存していたのだ」と嘆いている。「独立した国家でありながら、統計上に見る韓国の事実上の価値は48%にすぎなかったのだ。言い換えれば、韓国に対する米国の発言権は52%を占め、われわれはそこまで彼らに依存せざるをえないという意味にもなる」「同時に、それは韓国に対する米国の関心度を示しているともいえるだろう。米国の援助がなければ、わが政府はすぐにでも機能しなくなることを劇的に表わすものでもある」と述べている。
ここまで読めば、朴正熙がかなりの反米感情を持った、民族主義者であると考えられるだろう。だが、朴正熙は現実主義者で、感情に基づいて米国を憎む人物ではなかった。朴正熙は、自分の発言が誤解を招きかねないという思いから、自身が考える米国について具体的に表現した。
「われわれはこのような事情を明らかにして寸毫も意識的な曲解を起こしたり、感謝する心に黒い風呂敷を被せようとするわけではない。ありがたいことにはあくまでも感謝するべきである。なぜなら、これはあくまでも礼儀の問題だからである」
米国という国に反対するのがあたかも知識人の当然の態度でもあるかのように考えるのが昨今の世情だ。米国の支援に感謝すべきだというと、「米国が自らのために韓国を助けたのではないか」と反問してくる若い学生は少なくない。朴正熙の「ありがたいことにはあくまでも感謝すべきだ」という言葉は、いくら索漠たる国際政治の世界でも必ず存在すべき最低限の国際儀礼といえる。
米国は自分たちに利益があるから助けたのも事実だろうが、米国の助けのおかげで大韓民国は生き残り、繁栄できたという点を無視してはならないのだ。朴正熙の言葉どおり、ありがたいことには感謝すべきである。
米国でも知識人を自任する人々の中には、米国の近くにはカナダやメキシコなど、全く米国に挑戦する国がないのになぜ巨額の国防費を使うのかと不平を漏らす者もいる。米国が彼らの見方どおりに政策を立てて執行してきたら、大韓民国の全国民は今、ほぼ間違いなく金氏王朝の暴圧的支配体制の下で虐げられる朝鮮の臣民になっているのではなかろうか。
朴正熙の親米は、無条件の親米ではなかった。米国のありがたさは理解しつつも、自らの生活能力を育てなければならないという切迫した親米だったのだ。