李承晩と朴正煕 アメリカに挑んだ大統領43

反共を国是にし、米国との友誼をもっと厚く
日付: 2016年04月27日 11時24分

朴正熙の革命公約

 韓国での勤務経験があった米軍将校たちは、革命政権に対する米国の支持を引き出すのに重要な役割を果たした。韓国戦争のとき、韓国軍の成長と増強に貢献したジェームズ・ヴァン・フリート将軍は1962年7月、韓国を訪問して朴正熙と革命主導勢力に会った。以来ヴァン・フリートは、国務省の官僚に会うたびに韓国の革命指導者を支持し、擁護した。ヴァン・フリートのような著名な指揮官の朴正熙政権に対する積極的な支持は、ケネディ政権の朴正熙のクーデターに対する立場を、好意的なものに変えるのに大きく寄与した。
経済発展段階説で有名なウォルター・ロストウ(Walter Rostow)元ハーバード大教授は、発展途上国で社会・経済改革を推進できる最も信頼できる潜在勢力は軍部であると主張した。ケネディ政権が発足した直後、ロストウは、第三世界の国々で軍隊を刺激し支援して彼らが経済発展と近代化を主導する過程で、早く良い成果を出せるように支援するよう主張した。
ヴァン・フリートの国際安保的観点と、ロストウの友好的な解釈は、朴正熙の軍事クーデターが成功するため決定的に重要な国際環境、つまり、米国の支持を引き出すのに寄与した。内閣責任制政府の実権なき大統領ではあったが、尹〓善の「来るべきことが来た」という観点は、朴正熙のクーデターの旗揚げの背景と成功を説明する言葉だったといえる。
軍事クーデターを起こした朴正熙は革命公約を発表する。ここでまず、クーデターと革命の概念上の説明をしよう。多くの韓国人は革命はいいこと、クーデターは逆に悪いことだと考える傾向がある。ところが、2つの概念は、社会的・政治的変動を説明する学術用語として、どちらがいいとも悪いともいえない。革命は社会全般の急進的大変革を総称するものであり、クーデターとは急激かつ暴力的な手段(主に軍事的)によって、既存政権の機能を終息させる行為を意味する。
例えば1917年に帝政ロシアを倒したロシア革命、フランス王政を終息させたフランス革命、そして世界初の民主主義国家を建設した米国の独立戦争などを革命と呼ぶ。クーデター(Coup d’etat)とは、文字どおり国に一撃を加えるという意味で、既存の政権を暴力的手段によって急激に崩壊させることを意味するが、状況によっていい革命、悪い革命、いいクーデター、悪いクーデターに分類可能だろう。
朴正熙は、第2共和国を一挙に終息させた軍事クーデターを起こしたわけで、5・16は歴史上成功したクーデターとして残る。クーデターではあったが、当時の社会、政治、経済の全体的な変化を希求したという点で、クーデターを起こした主役は、自分たちの旗揚げを「革命」と呼びたがった。だが、5・16の主導勢力は、大韓民国の国体と政体である自由民主主義体制、共和体制、資本主義体制への大変革を追求したわけではない。
そのため5・16は、政治学の教科書に出てくる意味の革命とはいいがたい。もちろん、同じ意味から4・19も革命の範疇に入らない。
朴正熙は革命の直後、5項目の革命公約を発表した。内容は大韓民国を変革するというものではなく、大韓民国が目指す理念と価値をさらに強化させるということだった。朴正熙の革命公約5項目は次のとおりだ。
(1)反共を国是の第一とし、今までの形式と、掛け声倒れに終わった反共態勢を再整備・強化することで侵略の危機に備え、(2)国連憲章を忠実に遵守し、国際条約を履行し、米国をはじめとする自由友邦との関係を強化することで国際的な孤立から脱し、(3)旧政権下であったあらゆる社会的腐敗と政治的旧悪を一掃し、清新な気風の高揚と退廃した国民の道義と民族主義の精気を正すことで民族精神と民主精神を涵養し、(4)国家の自立経済の再建に全力を傾注し、飢餓線上の民生苦を解決することで国民の希望を高め、(5)北韓共産勢力を制圧できる国力を養うことで、民族の宿願である国土統一を実現する。
革命公約の第1項は、国家安保に関するものだ。当時も今も、大韓民国の国家安保に対する最大の脅威は北韓といえる。


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