李承晩と国務長官ダレス
韓日国交正常化問題に議題は移った。アイゼンハワーは、韓国が日本と国交を樹立するよう勧めた。李承晩は大いに怒って声を荒立てた。「韓日会談の日本首席代表である久保田が、日本の韓国統治が有益だったという話をしているのを、あなた方は知っているのか? このような誠意のない人たちとどう国交を正常化せよと勧めるのか?」と叫んだ。
久保田はいわゆる「久保田妄言」で全韓国国民を怒らせた張本人だった。久保田は「韓国側が対日請求権を主張するなら、日本も対韓請求権を主張することができる。日本は朝鮮の鉄道や港湾を作り、農地を整備し、大蔵省が毎年多くのお金を投資し、多い年は2000万円を支出した。それらを返してほしいと主張して、日本側の対韓請求権と韓国側の対日請求権を相殺すればいいではないか。個人的意見だが、私が外交史を研究したところによると、当時、日本が韓国に入らなかったら、中国やロシアが入ったかもしれないと思う」などと主張した。最悪の植民地支配を行った日本の詭弁といわざるをえない。
結局、米国と韓国の初めての首脳会談は1時間ほどでこれといった成果もなく閉会した。米国は、韓国くらいなら米国の世界戦略に従順に応じてくれると考えたのかは知らないが、李承晩が統治する大韓民国は貧しかったものの、虚弱な国ではなかった。しかも大きな愛国心を持った国だった。
米国の首都ワシントンには、2つの大きな空港がある。1つは国内線中心のロナルド・レーガンナショナルエアポート(Ronald Reagan National Airport)であり、もう一つはワシントン郊外の国際空港であるダレス国際空港だ。アイゼンハワー政権当時の米国務長官ダレスの名をとって作られた空港だ。冷戦時代に米国の戦略的基礎を築いた反共的な政策で有名な長官の名前だが、李承晩とは面白い逸話がある。ダレスも李承晩に劣らない反共主義者だったが、彼がアジア集団安保体制について語り始めると、李承晩は不快になった。1954年7月27日午前11時30分、アイゼンハワーとの首脳会談を終えた李承晩は、国務長官のダレスとも会談。そこでダレスがアジア集団安保体制に言及したのだ。
アジア集団安保体制には当然日本も含まれるのだが、李承晩はそれは絶対にだめだと考えた。韓国を数十年間植民地統治した日本が再び韓国に足を踏み入れるのは、いかなる根拠があっても許せないというのが李承晩の持論だった。何度も指摘したが、国際政治の構図を正確にわかっている李承晩だが、彼の反日感情は現実主義的国際政治を超越するものだった。
その日の夜8時、ダレス夫妻は、李承晩夫妻をはじめとする韓国側公式随行員のための晩餐会を主催した。ダレスはその日の午後の会議でやや険悪になった李承晩との関係を和解の雰囲気に変えようとそれなりに努力した。ダレスは、李承晩を参加者に紹介しながら、次のように語った。
「李承晩が米国を訪問される際、どのようにして喜ばせてあげるかを私なりに考えました。いい方法をいろいろ考えるうちに、ふと昨年李承晩がわが国に送ってくださったつがいのツキノワグマを思い出しました。今ワシントン国立動物園にいるツキノワグマ2頭をホワイトハウスに運び、大統領に見せたらどうかというアイディアで、すぐ動物園に確認してみたが、あれからあまりにも大きく育ち、連れてくるのが難しいという話を聞きました。いずれにせよ、大統領閣下がこのクマのように老境入ってもさらにお元気でおられるのは喜ばしいことです」
この言葉を聞いた李承晩は即座に言い返した。
「私が寄付したクマを覚えていてくれてありがとうございます。ところがどうでしょう。 私もしばしば、動物園の檻の中にいるクマのように行動の自由がないと感じることがあります」
李承晩のジョークで場内に笑いが起こった。李承晩は大韓民国の大統領として、自分のやり方で統一をはたせないという苦しくて切ない心情を即座に表現する機転の持ち主だった。続けて李承晩は「米国政府と政治指導者には、共産侵略者に対する、より断固たる積極的な方針と戦略が必要です」と言い添えた。