ワシントン空港演説
在米同胞100人あまりも韓服に太極旗を持って李承晩夫妻と一行を歓迎した。李承晩は、79歳の老人らしからぬ堂々とした歩き方でタラップを降りた。このとき同胞たちは太極旗を振って「万歳」と叫んだ。李承晩は、ニクソン夫妻ら歓迎側の人士と握手を交わし、親しげに同胞らの手も握った。21発の礼砲が鳴り、米軍軍楽隊が愛国歌(韓国国歌)と米国国歌を演奏した。みなが直立不動の姿勢で立っていた。
李承晩は、ニクソンの簡単な歓迎挨拶に対する答辞の形で到着の挨拶をする予定だった。ところが当初短くなるはずの演説は、15分にも及んだ。演説の中には米国に対する李承晩の不満も含まれた。米国の臆病な行動のせいで韓半島は統一の機会を失ったということだ。それは「米国の弱虫のような態度は、6・25戦争で韓半島の統一を阻んだが、全知全能の神は、われわれの計画を必ず成就されるようにしてくださる」という発言だった。李承晩の外交顧問だったロバート・オリバー(Robert T. Oliver)は、李承晩は思い切って米国と戦うために来たと解説した。ニクソンは李承晩のこの言葉に当惑した。
本来国家元首が外国を訪問したときは、外交的な辞令と蜜月ぶりを強調する発言をすべきであり、李承晩も当初はそうするつもりだった。しかしマイクを握った李承晩は、心の中にあった言葉をそのまま吐き出した。彼は米国人が韓国をいかに救ったのか、そして共産主義者の南侵の野心をどのように挫いたのかをまず説明した。そして、次のように続けた。
「もし、われわれにもう少し勇気があったら、鴨緑江まで取れたはずです。そうすれば少なくとも、われわれが韓半島の統一に対して心配する必要はなくなりました。ところが一部の人々が少し怖気づいて(a little cold feet)、われわれはほぼ手中にしたほとんどの機会を掴めませんでした。あの時が韓国、米国、国連、そしてすべての自由の国々にとって最高の機会だったのに逃したのです。全知全能の神は、確実な勝利のためにわれわれの計画が必ず成就するよう守ってくださると思います」
李承晩は予定よりかなり長く演説したため、ホワイトハウス到着が遅れた。李承晩は、怖気づいたがために韓半島の統一を止めた人々と戦うと宣言したに近かった。
李承晩は米国政府の歓心を買うために訪米したわけではなかった。米国政府は当時、李承晩が休戦に反対し、何としてでも韓半島の統一を達成すると主張し、戦後復興のためにさらなる経済支援を要請したことに対して、頭を抱えていた。
李承晩は米国政府のそういう雰囲気に屈するか和解しようとしなかった。彼は到着するやいなや、共産主義の戦略に巻き込まれたアイゼンハワー政権の世界政策に対して、隠さず辛辣な攻撃を浴びせたのだ。
ホワイトハウスのリンカーン大統領寝室で1泊した李承晩夫妻は1954年7月27日午前10時、史上初の韓米首脳会談を始めた。李承晩はすでに前日の夕食会で、韓国は必ずや統一を実現すると演説し、アイゼンハワーは「平和」を力説した。アイゼンハワーは第2次大戦の英雄だが、かなり「小心」な外交政策を展開した米国大統領として記憶されている。アイゼンハワーが軍人出身の政治家らしくなく、人気に迎合する人物であることを李承晩は見抜いていた。
李承晩は一方では歴史的な首脳会談であるという心温まる感慨を持ったが、もう一方では、自分とはあまりにもスタイルが異なり、印象もよくない米国大統領と会談しなければならないという不快な気分を隠せなかった。
李承晩が先に口を開いた。「ジュネーブ会議が予想どおり失敗しました。これからいかなることがあっても、北韓に駐屯している中共軍100万を撤退させなければなりません。遅れてはいますが、米国のヨーロッパ中心の世界戦略を今からでも修正するのが望ましいですね。今はアジアの安保への配慮が切実に求められています」
アイゼンハワーは、李承晩の発言に対して具体的な回答をせず、「すべての問題は平和的に解決するのが望ましい」という言葉を何度も繰り返し、李承晩の要求に対して留保する態度を取った。