李承晩と朴正煕 アメリカに挑んだ大統領 第1部 -31-

米国の韓国戦争休戦構想
日付: 2016年02月03日 01時58分

 在韓米軍は韓米相互防衛条約の内容とは関係なく、戦争が勃発した瞬間、ただちに北韓軍と交戦するように配備されているためだ。
 在韓米軍が「罠の針金」(Trip Wire)の役割をしていることから、在韓米軍は北韓の挑発と同時に戦争に参戦するようになっている。そのため米軍全体を動員する役割をなすということだ。
 第2条にも解釈がまちまちになる可能性がある。「当事国のいずれか1国の政治的独立または安全が外部からの武力攻撃によって脅かされていると、どちらの当事国も認めるとき」相互協議するとなっている。事実1960年代後半、北韓によって大規模に行われた武装ゲリラ侵入事件は、韓米同盟が作動すべきかについて、いくつかの問題を提起した。米国はゲリラ戦に対しては介入しなかった。96年に江陵で北韓の潜水艦浸透事件が起きた後、韓国軍による大規模な軍事作戦が展開されていたときも、米軍は作戦に参加しなかった。
 以上のような若干の問題点があるにもかかわらず、韓米同盟は歴史上見られた数々の軍事同盟の中で最高に良好な、信頼性の高い軍事同盟の一つと評価されることに問題はない。カナダ・ブリティッシュコロンビア大学政治学部のホルスティ名誉教授(K.J.Holsti)は、相互介入が作動する状況において、条約締約国によって行われる介入の形態、軍事同盟国間の軍事統合および協力の程度、条約の地理的範囲を軍事同盟の分析基準に挙げた。シカゴ大学の故ハンス・モーゲンソウ教授(Hans J. Morgenthau)は軍事同盟が相互的か一方的か、一時的か永続的か、効力があるかないか、利益の配分が一般的か制限的か、利益の範囲が相互補完的か一体的か、あるいは理念的なのかを類型分類の基準とした。また、イェール大学のブルース・ラセット教授(Bruce Russett)は国際体系との関連性、介入の本質、条約の予定された有効期間、同盟国間の同等性の程度、同盟国の以前の同盟関係、協力と統合の種類と程度、同盟の持続期間、同盟終了の形態、未来の戦争と同盟の行動などの諸要因を総合的な評価基準に挙げた。これらを考慮するとき、韓米同盟は最高の同盟といって問題ない。韓米同盟は、同盟国の密接度と敵対国に対する意識、軍事統合の程度などの側面で非常に凝集性が高い、世界歴史上最高水準の軍事同盟として存在している。
 韓国戦争は1950年6月25日に勃発したが、休戦会談が始まったのは戦争が始まって約1年が経った1951年7月8日からだ。すでに米国とソ連は膠着状態に陥った韓国戦争を休戦させる考えを持っていた。1951年5月31日、米ニューヨーク・ロングアイランド州の駐国連ソ連大使の別荘で、冷戦時代に米国の外交戦略である封鎖政策を構築したジョージ・ケナン(George Kennan)と、ソ連の国連大使であるマリクの間で会談が開かれた。米国側の休戦提案にソ連は慎重に検討すると答えた、典型的なソ連式外交修辞だった。米国は中国軍の介入で韓国戦争の様相が変わったため、即時休戦の可能性を模索していた頃だった。
 ソ連も韓国戦争で金日成の北韓が勝てないという事実をわかっていた。1951年6月23日、マリクは「平和の代価」という国連演説を通じて、韓国戦争を休戦させようとする共産圏側の初の提議を示した。彼は「ソ連政府は、交戦する双方が停戦の可能性と38度線からの軍隊の相互撤退を規定する休戦のための会談を開始すべきだと信じている。もし双方が韓国での戦闘行為を中止することを真剣に求めるなら、これは平和の対価としては決して高くないと思う」と言及したのだ。
 このような提案が出てきた時点で、中共軍の春季大攻勢は水泡に帰し、韓国戦争の戦線が戦争以前の38度線近くで膠着状態に陥っていた。満州爆撃を主張した強硬論者のマッカーサーも解任(51年4月12日)された後だった。時期的に対共産圏宥和論者が休戦を提案するのに有利な方向へと、状況が展開されていたタイミングだった。
 マッカーサーなどの強硬派が解任された後、後任のリッジウェイは、前任者の轍を踏まないように、ワシントンの指示に忠実に従った。ワシントンは初めて韓国戦争をコントロールできるようになった。


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