<寄稿> 瀬戸際の平壌政権 - 金一男(韓国現代史研究)
平壤政権の核兵器開発計画は1950年代に始まる。1950年6月の大規模南侵に失敗した平壤政権は、韓米の軍事力に対抗すべく、また再度の南侵計画の担保として、核開発の準備を開始する。
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保守団体が金正恩の写真を燃やし、核実験を糾弾している
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労働党は金正恩の私兵組織に墜落した
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1970年代の南北の経済力量の逆転により、平壤政権にとって体制維持が至上課題となった。平壤政権は1980年、事実上の「分断固定化」である「連邦制統一」を打ち出す。北側の主張する統一プロセスから「南北統一総選挙」が消えた。一方、体制の劣化を軍事力で挽回すべく、核開発が本格化した。
1990年前後の東欧社会主義圏の消滅は北の核兵器開発を急がせた。この時期に「対話路線」に転じた平壤政権は、1991年、南との間で「南北基本合意書」と「南北非核化共同宣言」に調印した。1992年、合意に従って韓国から米軍の戦術核が撤去されたのを見届けて、核開発を加速する。1993年の第一次北核危機を経て、2006年6月、第一回核実験にこぎつけ、この2016年1月には4回目の核実験を行った。核とミサイルの開発にこれまで北朝鮮で消費された費用は4000億円に達する。
この間、社会主義的統制経済に特有の初期的な効率化が限界に達した北朝鮮の経済は失速を続け、配給体制も崩壊した。闇市場と一部新興富裕層のブローカー的経済行動によって維持される、搾取的な「国家独占資本主義」に変貌したのである。
また、社会主義体制による経済の国家的独占は政治権力の極端な集中をもたらし、三代にわたる王朝的世襲国家を生んだ。社会主義には権力世襲の概念はない。社会主義による経済発展と民族統一を約束して出発した朝鮮労働党は、イデオロギー的にも機能的にも、個人に奉仕する私兵組織に堕落した。北朝鮮社会は完全に変質したのである。
北朝鮮はもはや国家ではない。今は、少数の党と軍幹部たちの利益代表が、聞こえのいい看板を掲げて古典的な一人独裁を行っているにすぎず、その主張には一片の正義もない。
ところで、すでに寿命の尽きた平壤政権が今日まで生き延びてきたのは、中国の支援のおかげである。中国にとって2400万の北住民の運命は関知する所ではない。中国がおそれてきたのは、アメリカの軍事プレゼンスが鴨緑江にまで及ぶこと、それだけである。だから、その口実となる北朝鮮の核武装は容認できない。
また、平壤政権に核兵器を持たせることは、中国の周辺情勢にとてつもない不確定性を与えることになる。かつての中国も原爆実験の成功後にソ連から離反し、独自の国家的利益を主張するようになった。これが、中国が北の核武装に反対し、「半島の平和と安定」を欲する理由である。現在の北朝鮮は中国にとって両刃の剣である。
平壤政権が核武装を死活の課題と考えている以上に、平壤政権の核武装を阻止することは中国にとって死活の課題なのだ。中国には中国独自の情報網が存在する。中国が平壤政権の扱いに逡巡するのは、北が核兵器を実戦配備するまでの間だけと考えられる。中国にいくばくかの余裕があるのは、北の核の実戦配備までの見通しがあり、いざとなればいつでも平壤政権を窒息させることができるという自信のせいだと考えられる。
だが、そもそも最終兵器である核兵器は、実戦には使用できない武器である。もしそれが使われれば、報復の応酬によって当該地域は無差別に焦土化される。一政権の利害のために我が民族が核戦争のきっかけとなってはならない。わたしたちには、全力を尽くしてその可能性を排除する義務がある。今のわたしたちにこれ以上の焦眉の課題は存在しない。