李承晩と朴正煕 アメリカに挑んだ大統領 第1部 -28-

世界最高の強大国と貧困国の防衛条約
日付: 2016年01月14日 10時27分

 英国はヨーロッパ大陸の均衡を通じて自国の安全を保障し、欧州大陸の国々が相互のパワーバランスを維持する範囲内での競争を繰り広げるようにすることで、ヨーロッパの強大国の関心をヨーロッパ大陸内にとどめておく一方、英国自身は世界へ進出するという伝統的な外交政策を持っていた。このような孤立政策には非常に柔軟な外交術と、英国の行動を制約しかねないいかなる同盟も結ばないことが求められる。
 他国と同盟を結ぶことは、実は容易で便利な外交政策だ。難しい政策である孤立を選んだという意味で、英国人は自分の孤立政策(実はヨーロッパ大陸への柔軟な干渉政策)を「栄光の孤立」と呼ぶ。
 当時、日本は東洋の新興強大国だったが、欧米列強の立場から見ればまだ後進の弱小国にすぎなかった。しかし、英国が日本と同盟を締結せざるをえない国際状況が到来した。次第に東に影響力を増大させて太平洋に到達したロシアを、英国は自らの力だけで制するには限界があった。日本を支援してロシアの太平洋進出を阻止するという英国の政策は、日英同盟を締結する根拠となった。
 日英同盟を締結した英国は、日本の帝国海軍に英国製軍艦を提供した。米国から強制開国された後、明治維新を通じて国力が日ごとに増していた日本は、すでに清を制圧し、ロシアさえ制圧すればアジアの覇者になれる状況だった。英国製軍艦で武装した帝国海軍は、ロシアとの一戦の日に備えていた。
 その日本は日英同盟の締結を無限の光栄と思った。当時の日本の水準で英国と同盟を結ぶことは、夢のようなことだった。世界一の超大国である英国との軍事同盟を締結した日本は、英国の支援を受けて1904年の日露戦争でロシアを撃破する。日本は清とロシアを撃破した後、アジアの盟主となった。国際政治学者たちは、日本が日露戦争でロシアを完全に制圧した1905年以降の日本を、世界政治の強大国の一つとみなす。
 英国と同盟締結に成功した後、日本の論評家たちは日英同盟を「ヒキガエル(日本)がお月様(英国)と結婚した」と比喩した。まったく不可能に思われたことが実現したのだ。日本人は日英同盟締結を祝って興じた。英国と同盟を締結した日本がアジアの覇権を取るのは当然のことだった。
 韓米同盟は日英同盟に比べても、同盟締結当事者間の実力が比較にならないほど一方的な同盟だった。世界最高の強大国と世界最下位の虚弱な貧困国が締結した防衛条約だった。もちろん、米国が韓国との防衛条約を決して快く結んだわけではない。韓米同盟の締結は、李承晩の渾身の努力の末、ぎりぎりの外交努力を通じてなした、韓国の外交史上最も偉大な業績と見るべきだ。李承晩は韓米同盟が締結された日、感激のあまり、大韓民国の国民に「みなさんは、この条約を通じて長らく利得を得るだろう」と述べた。
 韓米同盟は李承晩の公言どおり、韓国国民にとって末永く利得になった。まず、北韓は韓国を再侵略する気が起こせなくなった。米国が守ると約束し、その約束を守るため韓国に米軍を駐留させている状況で北韓が挑発すれば、それは自殺も同然だからである。1970年代初頭までは、米軍が休戦ラインの一部を直接守っていた。70年代初め、在韓米軍の一部撤退があったが、米軍は今この瞬間も、ソウル以北に駐留していることで、北韓の攻撃ルートを遮断しているのだ。
 盧武鉉政権当時、ソウル以北の米軍はもちろん、ソウルに駐留している全米軍を平沢以南の基地へ移転させる計画があった。今もその計画が当初の速度ほどではないものの、徐々に進行している。
 ところが2012年6月、在韓米軍司令官のサーマンが韓米連合司令部の解体とソウル以北の在韓米軍の撤退計画が修正されることを示唆した。大韓民国の国家安全保障のためには、非常に勇気づけられることといえる。
 今日この瞬間にも、われわれは韓米同盟の恩恵を受けている。最も際立った恩恵は、経済的なものだ。大韓民国は、大韓民国と似た安保状況に置かれている国々の中で、GDPに占める国防費支出が最も低い国の一つだ。


閉じる