米国側が38度線突破についての断固として決定を下せない状況で、李承晩は9月29日、すでに韓国軍の指揮部に38度線を直ちに突破するよう命令し、韓国軍首脳部は李承晩の命令に服従した。結局1950年10月7日の夕方、米軍第1騎兵師団の偵察隊が開城北方の宿営地から38度線を越え、10月9日午前、米第1騎兵師団隷下の各連隊は38度線を全面突破した。
国連総会も10月7日、連合軍の38度線突破を承認する決議案を可決して本格的な北韓修復作戦が可能になった。韓国戦争はもう本格的に、そして合法的に李承晩が目標とした統一戦争の段階に入るようになった。
6・25戦争初期の米国の戦争目標は、戦争以前状態の回復だった。米国合同参謀本部議長であるブラッドリーは、マッカーサーの聴聞会で米国の軍事目標は侵略を撃退し、北韓軍を38度線以北へ追い返すことだったと証言している。
しかし、韓半島での軍事状況は38度線の維持が事実上無意味な方向に展開されていた。マッカーサーが北進命令を下した日、韓国戦争の主力である韓国軍はすでに38度線を越えて北へ進撃して8日目になっていた。
李承晩の強い統一への意志は、韓国軍への38度線先制突破命令につながった。李承晩の果敢な38度線突破は、6・25戦争休戦後も、北韓に対する潜在的な戦争抑止要因となった。北韓がまた戦争を起こしたら、その戦争は統一戦争になるという大韓民国の覚悟を北韓側に正確に伝えた契機こそ、まさに李承晩の38度線突破命令だった。
作戦指揮権が国連軍司令官にあった状況でも、韓国軍は韓国大統領の命令に従って38度線を突破した。この事実も北韓の再南侵を抑止する要因になった。韓国軍は韓国戦争の戦場という究極の場所と瞬間で、自ら決定し行動できるという事例を残したのだ。
同盟に関して韓国人が持つ誤った認識の一つは、「同盟とは親しい国々同士が結ぶもの」という考えだ。同盟は親しい国が締結するものではなく「共通の敵」を持つ国同士が締結するものだ。仲が悪い国同士でも「共通の敵」を持つ国は同盟が結べる。第2次大戦のとき米国とソ連は全く親しくなかったが、ナチスドイツと軍国主義日本という「共通の敵」があったため、まったく体制の異なる米国とソ連でさえ同盟関係が結べたのだ。米国は、ドイツと戦うソ連に大々的な軍事および戦略物資を支援し、ソ連を日本との戦争にも引き入れた。
前述したように、ソ連は日本が無条件降伏するわずか6日前の8月9日深夜0時を期して日本に対して宣戦布告を断行する緻密さを見せた。わずか6日間の、さほど熾烈でもない戦闘だけで、ソ連は韓半島の半分を占める幸運を得た。
同盟とは「共通の敵を持った国々が、共通の敵に対して一緒に軍事作戦をするという約束」だ。同盟とは本質的に「軍事的」性格を持つものだ。これから詳しく説明するが、米国は韓国と同盟を結ぶことで、韓国を攻撃する国に対抗して戦争する任務を負うようになったのだ。
韓米同盟がほぼ60年間持続する中で、韓米同盟の重要さに対する感覚が鈍くなったが、韓米同盟の形成により、外交的に不可能なことを成就したも同然になった。
弱い国が強大国と同盟を結ぶのは本当に難しい。日本と英国が同盟を結んだときの興味深い逸話がある。英国は1902年、長い間の「栄光の孤立」政策を放棄し、東洋の新興強大国の日本と同盟を結ぶことになる。