李承晩と朴正煕 アメリカに挑んだ大統領 第1部 -26-

統一戦争の開始 「38度線はこの瞬間から亡くなる」
日付: 2015年12月08日 23時14分

 李承晩は「38度線に到達したわが国軍にどうして北進せよ、と命令しないのか? 38度線のためかそれとも他の理由のためか?」と質問した。この質問に丁一権は「38度線のためです」と答えた。李承晩は激怒して「38度線がどうしたというのか? そこに鉄条網でも張ってあるのか?」と将軍たちを叱責した。丁一権はその時ほど、李承晩が怒ったのを見たことはなかったと回顧している。
 軍需局長の楊国鎮大佐が「閣下、もう少し慎重に検討してから決定すべき問題だと思います」と提言すると、李承晩は表情をこわばらせた。大統領は丁一権の見解を尋ねた。丁一権は「われわれは大韓民国の国軍です。国連軍との指揮権の問題がありますが、閣下の命令に従う使命と覚悟を持っています」と答えた。
 李承晩はしばらくして結論を下した。李承晩は作戦権をマッカーサーに委任した理由を再度説明した。
 「私は、マッカーサー将軍にわが国軍の指揮権を任せはしたが、それは私が進んでやったことだ。したがって、取り戻すときも私の意思でやる。指揮権でああだこうだということはない。したがって、大韓民国の国軍である皆さんは、大韓民国大統領の命令にだけ忠実に従えばいいのだ」
 もちろん、李承晩のこの立場をどう解釈すべきかに対しては議論の余地がある。李承晩は国際法と国際政治の専門家である。自分と韓国戦争を総指揮する国連軍司令官との約束が、簡単に無視されてもいいとは考えなかったはずだ。にもかかわらず、李承晩の言動は国際法と国家間の約束の基本的な常識に違反するやり方だと見てもいいほど頑とした側面があった。
 一旦委任した作戦権を自分が望むからといって取り戻すわけにはいかない。ただ、李承晩がこのような無謀の手法を使ったのは、戦争が展開している切迫した状況で、作戦権の問題は状況の論理によって支配されるという確信と戦争を遂行する過程で確固たる不動の目標が存在したからこそ可能だった。李承晩が考えた不動の目標は、韓国戦争は大韓民国が主導する統一に帰結すべき、ということだった。また、38度線はすでに法的に無効であるという確信を持ち、このような立場を何度も米国側の政策決定者に強調した。つまり、米国の高位政策決定者の中で、李承晩が38度線を突破しないと信じる人は一人もいない状況を李承晩は自ら作ったのだ。
 李承晩は、韓国軍の将軍らの見解を聞き、彼らの大韓民国と李承晩自身への忠誠心を確認した。大韓民国国軍が自国の領土から38度線を突破しても米国司令官はどうしようもないはずで、韓国軍が38度線を突破したらそれは戦争の既成事実となり、結局米軍とほかの国連軍も38度線を越えるしかないと李承晩は確信したのだ。
 マッカーサーは10月1日、北韓軍へ降伏を勧告する計画だった。北韓がこれに応じない場合、10月2日付けで38度線突破を命令する予定だった。マッカーサーは計画どおり10月1日、北韓に降伏を勧告。すぐに武器を捨てて戦闘行為を中止するよう要請した。北韓はもちろん、これに応じなかった。
 韓国軍が先に38度線を突破した。50年10月1日午前11時25分、丁一権参謀総長は金白一将軍に38度線突破命令を下した。金白一軍団長は23連隊長の金淙瞬大佐に命令を下した。「23連隊長、第3師団に代わって貴連隊に北進命令を下す。38度線を突破せよ。38度線はこの瞬間からなくなる」韓国軍第3師団23連隊は、このように最初に38度線を突破した部隊になった。
 米国側の将星たちは、38度線突破問題について複雑な気持ちだった。38度線を越えたら、ソ連と中共が介入する可能性が高くなり、それは3次世界大戦へと発展するかもしれないことだったからだ。
 特に英国を含む英連邦の国々は、このような主張を強く提起した。米国内の意見も38度線突破について見解が深刻に対立する状況だった。ただし、マッカーサー将軍をはじめとする米極東軍司令部は北進論を打ち出した。マッカーサー将軍が選好したのは武力で韓国を統一させることだった。トルーマン大統領は9月21日の記者会見で、38度線突破は国連の決定事項であって、自分の決定事項ではないと言及した。


閉じる