李承晩と朴正煕 アメリカに挑んだ大統領 第1部 -23-

戦時作戦党政権と指揮権
日付: 2015年11月18日 09時55分

 第1軍団長の金弘一と第2軍団長の金白一に、作戦指揮権の移譲は国連軍との連合作戦のため不可避な決定であることを強調し、これを各師団長に伝えた。
 韓国戦争が勃発してから1カ月の間に、李承晩の戦争目標である米軍の参戦、米軍主導の戦争遂行という2つの目標が達成された。米国の参戦決定が6月30日で、韓国戦争に参戦した米軍司令官が韓国軍の全部隊を公式に指揮するようになったのが7月25日のことだから、わずか1カ月で韓国軍と米軍は融合したことになる。これで韓国軍は、国連軍の一員であるだけでなく、米軍司令官の命令を受けて戦争する軍隊に変貌した。勝利のための決定的な枠組みが戦争勃発1カ月で完成したと言っていい。
 韓国戦争初期の切迫した状況で韓国軍の作戦指揮権は国連軍司令官に移譲され、韓国戦争は完全な勝利を達成できなかった。しかし韓国軍は北韓共産軍を撃退し、38度線画定当時より領土が広くなった状況で休戦を迎えることになる。休戦後も、国連軍司令官は戦時および平時の韓国軍に対する作戦統制権を持続的に行使することになった。
 1970年代以降、国連では第3世界と共産勢力が拡張されたことで、韓国の問題を適切に処理する国際機関としての機能をまともに発揮できなくなった。このような状況を反映して78年、韓米両国は韓米連合司令部を作って変化する韓半島の安保状況に対処しようとした。
 韓米連合軍司令部体制の下、米軍司令官は戦時と平時の韓国軍の作戦統制権を行使した。そうするうちに米軍側は、平時作戦統制は韓国軍が行使するように要求。1994年12月1日、平時作戦統制権は韓国軍に移譲された。それ以来、平時には韓米両国軍司令官がそれぞれ自国軍を指揮し、戦争が勃発すれば、在韓米軍司令官が韓国軍を作戦指揮する構造がこれまで続いている。
 盧武鉉政権は、韓国が戦時作戦統制権を米国から還収するという拙速な決定を下した。韓国の安保状況が不安定であるにもかかわらず下されたこの決定は、その後の李明博政権によって2015年12月1日に延期された。盧武鉉政権が還収し戦時作戦統制権を韓国軍が単独行使できるようになると予定された日、そして韓米連合司令部が解体されると予定された日が2012年4月17日だった。筆者は4月17日という日を選んだのはおかしいと思った。韓国軍が戦時作戦統制権を行使するためには、膨大な国防予算が必要だ。予算執行などの諸事案を考慮すると、どうしても4月17日という日付が理解できなかった。筆者は、戦時作戦統制権を韓国軍が行使すると主張し、米国にこれを認めさせた人々は、もしかしたら李承晩が作戦権移譲の手紙を送った7月14日を逆にして4月17日という日付を考えついたのではないかと思っている。筆者はこの決定をした人々に「なぜよりによってその日なのか?」と聞く機会はなかったが。
 もし私の想像どおりなら、彼らは国家の安全保障という重大な問題を感情的次元で拙速処理した責任を負わねばならない。彼らは国権でも取り戻すつもりでいたかもしれない。だが、国家安保は感情的に処理すべき問題ではない。生死に関わる事案であるからだ。
 もう一つ、戦時作戦統制権を「還収」するという言葉を使うが、これも正しくない。米国軍は、戦時作戦統制権を奪ったことも、行使したこともないからだ。実際、米国は盧武鉉政権が作戦権を返してほしいというと、「われわれは戦時作戦権を有したことはない」と応じた。休戦以降、韓半島で戦争が再開されていないため、米軍は「戦時作戦統制権」を行使したことがない。戦時作戦統制権を米軍に帰属させた戦略的な理由がまさにここにある。戦争が勃発した瞬間、韓国軍全体が米軍になる装置を作ったことで、事前に北韓の戦争挑発の野心を抑制すること、それにより戦争が起きないようにすること、これがまさに戦時作戦統制権を米軍が行使することになった戦略的意味だ。
 現在使用される用語は「戦時作戦統制権」(Wartime Operational Control)であるが、李承晩がマッカーサーに移譲したのは「戦時作戦指揮権」(Wartime Command Authority)と呼ばれた。この二つには本質的な違いがない。


閉じる