韓国軍は後退しながらも部隊再編を開始し、韓国軍の兵力は迅速に増員された。李承晩の計画どおり、国民の総力戦態勢も十分に進められていた。
戦争勃発から約3週間、国軍と国連軍は遅延戦を展開した。7月7日に召集された国連安全保障理事会は、国連軍司令部設置に対する決議案84号を採択。この決議案は、国連安保理に代わって韓国で侵略者と戦争を遂行する権限を米大統領に委任し、加盟国が派遣した軍隊は米国の統一された指揮体制下に置かれるというものだった。
このような状況で李承晩政権は、国軍の作戦指揮権移譲問題を検討。韓国軍の陸軍本部は7月14日、大邱の米第8軍司令部の付近に移転し、合同会議を開いた。事実上、この時から韓国軍は国連軍の各構成軍と統合作戦に入った。状況を勘案した李承晩はこの日、戦争を勝利に導くための戦時下の政策的措置として、丁一権参謀総長に国連軍司令部の指揮を受けよという命令を口頭で下した。その後、駐韓米国大使を通じてマッカーサーに「国軍の作戦指揮権を、現在の作戦状態が持続する間移譲する」という書簡を正式に伝達した。
書簡の内容は、「大韓民国における国連の共同軍事行動において、韓国内あるいは韓国近海で作戦中の国連軍のすべての部隊が貴下に統率されており、貴下がその最高司令官に任命されている事実を勘案して、本職は現在の状態が持続する間、一切の指揮権を委嘱することを喜ばしく思うとともに、このような指揮権は、貴下、あるいは貴下が韓国内、または韓国近海で行使するよう委任した複数の司令官が行使することが正しいと思う」となっている。
李承晩が作戦指揮権を国連軍司令官であるマッカーサーに委任したのは、米軍を韓国戦争に呼び込んだのと同じ脈絡で解釈できる。事実上、米軍に韓国戦争遂行の責任を任せるのが最も安全な戦争遂行方法である。戦闘の現場にいる司令官は、その戦争で「勝利」すること以外の目的を追求しないというのが正統な軍事理論の基本だ。特にマッカーサーは、「戦争において勝利以外の代案はない」(In war there is no substitute for victory)という格言を残したほど、戦争において軍事的な勝利に執着する人物だった。李承晩は、韓国軍の作戦指揮権をマッカーサーに移譲することで、米国の韓国戦争遂行責任を全的に委ねようという意図を持っていたのだ。
もちろん、軍統帥権者が自分の軍事指揮権を外国軍司令官に委譲するときは、高度な戦略的判断なしではできない。李承晩は作戦権移譲に関する書簡をまず申性模国防長官と丁一権参謀総長に見せて彼らの見解を求めた。
丁一権は、いくつかの問題があることを指摘した。それに対して李承晩は、「なぜ問題がないだろうか(問題がないはずはない)。私もその点を考えている」と述べた。丁一権は「わが国軍の独自の編制や人事問題は絶対に保障されねばなりません」、「わが国軍が必要だと思われる作戦を、われわれの意図するようにできなくなる不便さも覚悟しなければなりません」と指摘した。だが李承晩は「この重大なときにわれわれは米国軍をはじめ参戦軍の力を借りるしかない状況だ。こういう不便さがあっても彼らと作戦を円滑にしていくのがもっと重要であるため、この決定を下したのだ」と言った。李承晩はしばらく黙ってから、「私は必要だと思うときはいつでも作戦指揮権を取り戻す。この点に留意して今後、米軍とよく協力してこの難局を乗り越えていってもらいたい」と述べた。
丁一権と李承晩の対話は、李承晩が作戦指揮権を移譲するのは戦争の成功的遂行のための措置であるだけで、いつでも自分の意志で取り戻せるという決意を示している。
1950年7月14日付けで韓国軍の作戦指揮権をマッカーサーに移譲した。
李承晩の手紙を読んだマッカーサーは7月18日、ムーチョ大使を通じて「李承晩の決定を光栄と思い、国連軍の終局的な勝利を確信している」という旨の返信を送った。李承晩の書簡とマッカーサーの回答は7月25日、国連事務総長に伝達され、安保理に提出されたことで公式に決まった。韓国軍総参謀長の丁一権は直ちに陸軍本部参謀会議を招集した。