李承晩と朴正煕 アメリカに挑んだ大統領 第1部 -19-

目的は〝自由民主統一〟 自由友邦諸国への要請
日付: 2015年10月21日 05時13分

 韓国戦争が勃発する以前から、李承晩の目標は広義の国権守護と統一だった。つまり、究極的には北進統一を国家戦略の目標として設定し、そのため邁進した。李承晩の北進統一政策が現実性のあるものだったのかは別問題だが、その北進統一政策は、李承晩がより巨視的な目標を設定し、韓国戦争に臨んでいたことを意味する。李承晩の目標は、単に北韓の侵略から国を救うだけではなかった。李承晩の目標は、これを機会に自由民主統一をなすことだった。
 李承晩の戦争目的が敵を単純に撃退する以上だったことは、英国首相チャーチルの言葉にも表れる。チャーチルは「英国は、李承晩のための北韓征服戦争に乗り出してはならない」と述べることで、国連軍の活動目的が大韓民国を北韓の侵略から救うことに限定しようとした。しかし、李承晩は、自分が望むとおりに戦争を進めようとし、李承晩の戦争指導者としての優れた能力は、チャーチルをして「米国を牛耳って自分の政治ショーに利用している」と言わしめた。 
 チャーチルの言葉は李承晩を批判したものだが、同時に李承晩の能力を証明するものでもあった。侵略された、自力で国を守る力もなかった弱小国の大統領が、助けに来た国々、それも世界最高の強大国である米国や英国を左右できたということだけでも大したものだった。韓国にそういう大統領が必要な時が、今も目前に近づきつつある。
 李承晩の目標は、韓国戦争に参戦して韓国を支援していた米国の目標と一致するものではなかった。韓国戦争に介入する前の米国は、韓国の現状維持を政策目標としていた。米国が介入を決定した際にも参戦の条件があった。米国の国家安全保障会議は、韓国戦争がソ連の介入をもたらす、もっと大きな戦争へと飛び火するのを防ぐことだった。米国は38度線を越えて北進するときも、「ソ連や中共の介入がない場合に限って」という条件をつけた。李承晩の目標と韓国を支援する米国の目標は、このように最初から異なり、韓国戦争が終わる時点までそれは変わらなかった。李承晩の戦時外交と戦争指導者としての能力は、まさにこの米国との持続的な同床異夢を管理したという点からも評価されるべきだ。
 もちろん李承晩の戦時外交は、米国一国だけに向けられたのではない。前面から北韓の奇襲攻撃を受けた韓国は当然、米国に緊急支援を要請したが、国連安全保障理事会が緊急措置を取ってくれることを要求し、ほかの自由友邦諸国にも個別に緊急支援を要請した。李承晩政府の多角的な外交努力は6月26日、蒋介石総統の絶対支持宣言、6月30日の英国首相ウィンストン・チャーチルの英国海・空軍の出動命令を引き出した。
 それでも李承晩の戦時外交は、概して米国との関係を中心に分析できる。勃発から休戦まで韓国戦争の進行方向を決定した主役が米国だったからだ。
 1950年6月25日、日曜日の朝、李承晩は昌徳宮の秘苑を散策していた。李承晩が以前から予感していたとおり、この日の午前4時に北韓軍は38度線全域で南侵戦争を開始した。秘書からの連絡で慌てて景武台(大統領官邸)に戻った李承晩は、申性模国防長官から電話で報告を受けた。李承晩は申性模長官に東京のマッカーサーに国際電話をかけるように指示し、緊急閣議を開いた。李承晩が驚き慌てている状況でマッカーサーに電話をかけるよう指示したのは、瞬時にこの難局を解決する能力の源泉はどこにあるのかを正確に把握していたためだった。
 午前11時35分、ムーチョ駐韓米国大使の訪問を受けた李承晩は、国軍にすぐ必要な小銃や弾薬などを米国に要請した上で、国家総力戦で戦争を指導する覚悟を明らかにした。李承晩は、韓国が第2のサラエボになることは避けなければならないが、この危機をチャンスにして韓国の統一問題を解決すべきだという立場を明らかにした。
 ムーチョとの面談を終えた李承晩は午後1時、駐米韓国大使館参事官の韓豹頊や張勉大使に電話をかけて「あいつらが攻めてきた。わが国軍は猛々しく戦っている。何とかして、米国の援助が早急に到着するように努力せねばならない」と指示した。米国時間で6月24日の夜10時30分頃だった。


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