李承晩と朴正煕 アメリカに挑んだ大統領 第1部 -17-

戦争を仕掛けた北 米国の参戦の意志、目的
日付: 2015年10月07日 08時22分

 社会科学の理論として成立しない陰謀説を信じる人々は、米国が韓国を真空状態にしておくことで、共産主義の侵略を誘引したと話す。共産主義者の侵略を誘引し、それをやり返すためだったというのだ。私は、米国がアチソン・ラインを引いた理由を、共産陣営に線の外にある韓国を取ってもいいと示したのではなく、アチソン・ラインの内側の日本などに手を出すなと警告したものと解釈する。日本はすでに米国が死活をかけて守るべき重要な国家利益になっていたのだ。米国は、日本が米国陣営に残っていれば、ソ連と中国が主導する国際共産主義の太平洋進出を防げると考えたのだ。
 それから60年以上の歳月が経った。李承晩が建国した大韓民国は今、米国が重視する資産になった。米国は今、韓国との同盟をうまく維持すれば、中国の挑戦を容易に防げると考えており、韓国との同盟を通じて東北アジアの秩序を維持することができると考えているのだ。
 米軍が韓国から完全撤退したのは1949年11月だ。韓国軍は当時の米国の軍事専門家が言ったように、南北戦争(1861~64)当時の米軍の武装レベルの、本当に取るに足りない軍事力しか保有していなかった。一方、北韓は日本が残した機械や化学工場など、豊富な戦争遂行能力を保有していた。北韓は、中国の共産革命を支援できるほどの軍事的余力もあり、戦争開始前に多発銃という、北韓製自動小銃も生産できるほどだった。共産国家建設に成功した中国は、北韓の支援に報いた。毛沢東は、自らの共産革命遊撃隊で戦った数万人単位の、戦闘経験が豊富な朝鮮人を金日成に送った。金日成は、彼らで構成された戦闘師団を38度線に沿って配置するなど、戦争準備を着々と進めた。1950年6月25日の未明、北韓軍は38度線の全域から侵略戦争を開始した。
 金日成は図々しくも、「南朝鮮の侵略攻撃に対する反撃」作戦を始めたとラジオ放送をした。「南朝鮮全体を共産主義社会にするための戦争を開始した」というのが、むしろ正直だったのではなかっただろうか。それが革命であるのなら、先手を打ったことはそこまで隠すべきことだったのか。だからわれわれは、北韓が仕掛けた韓国戦争を、いかなる理由があっても正当化できない「大規模民族殺戮の悪行」だったと見るのだ。
 李承晩の努力と、韓国軍の文字どおりの血の抗戦にもかかわらず、戦況は完全武装した北韓軍の圧倒的優位だった。戦争開始3日で首都ソウルが共産軍に占領され、李承晩は避難せざるをえなくなった。6月27日、北韓軍にソウルが落とされたという事実は、韓国戦争が誰の挑発で勃発したのかを物語る決定的根拠だ。先に攻撃を仕掛けた国が3日で首都を奪われたケースは、3000年におよぶ世界の戦争史で一度もないことだ。それでも6・25戦争を北侵だと主張する者が大韓民国に存在するのは、悲しいというより呆気にとられることだ。
 まさにこの6月29日、米国のトルーマン大統領は国家安全保障会議(NSC)で、「私は北韓軍を38度線以北に撃退するのに必要なあらゆる措置をとることを命じる。われわれの作戦が、かの地の平和を回復し、国境を回復することであることを明確に理解してほしい」と述べ、韓国戦争参戦の意志と目的を明らかにした。
 李承晩は6月27日の夕方から大田で戦争を指揮し、7月1日には釜山へと移動。トルーマンが韓国戦争参戦を決定したのは6月30日だった。マッカーサーは6月29日に韓国戦線を視察した後、米地上軍が介入せねばならない理由を提示し、米国軍が派遣されなければ韓国は崩壊すると考えた。米合同参謀本部は6月30日未明、マッカーサーからの細かな報告を受けた。共産主義者の勝利を快く思わないトルーマンは、議会の承認を受ける前に直ちに1個戦闘師団の派遣を承認し、また2個師団の派遣を決定した。マッカーサーの要請は功を奏した。李承晩の努力、そして危機に対応するマッカーサーとトルーマンの決定で、米国は歴史上例がないほど迅速に参戦を決定した。戦争勃発わずか5日後の6月30日、米国は韓国戦争に地上軍の投入を決めたのだ。


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