離散家族の再会は「人道的事業」と言えるか

日付: 2015年10月07日 07時58分

 南北韓当局は、10月20日から1週間、金剛山で離散家族の対面に合意した。双方が100人ずつ、申請者名簿を今週交換する予定だ。ところで、今の離散家族対面事業ははたして人道的事業だろうか。1985年以来30年間の経過を見ると、この「事業」は、いかなる基準を適用しても人道的事業といいがたいものだ。南北の政治的必要や南から対北支援を引き出す手段として、「人道的事業」の演出がとられてきただけだ。
 離散家族再会は、反人道性すら感じさせる事業だ。離散家族は監視人の立会いの下、数日間しか対面が許されない。再会が終われば、その後は自由往来や訪問どころか、手紙や電話連絡も許されない。
 再会事業はしばし、動物のショーに例えられる。カメラに再会シーンを捉えられるだけで、再び別れたままになる。これを人道的事業と呼ぶ南北当局の考え方を疑わざるをえない。対面の費用が高すぎるとも指摘されている。これも「人道的事業」という主張に疑いを抱かせる。南側の対面申請者1人が北側の縁故者に会うのに10億ウォン近くかかるといわれる。
 離散家族の対面を政治ショーやビジネス化するなら、北はもっと誠意を示すべきだ。いや、自分の最側近や叔父まで処刑するような体制に人道主義を期待するのは無理があろうか。
 離散家族の苦痛を減らすことは、政府と国家がやるべきことだ。しかし、恐怖政治を行う政権に金品を与えないと実現できないような家族の対面を、いつまで続けるのか。韓国はいつまで「金氏王朝」が望む方式でのみ北に対するのか。
 「6・15宣言」の後、金大中元大統領は韓国で逮捕されたスパイら63人を金正日に送還した。だが、北韓からは国軍捕虜の生存者を1人たりとも帰してもらっていない。帰せと要求したことすらないのだから当然だろう。
 いかなる国も、主権と独立を守るために軍隊の献身と忠誠を必要とする。祖国のため戦って、不幸にも60年以上捕虜になったままの将兵を、国が救出せずして誰が救出できよう。
 韓国法廷は今年、セウォル号が沈没したときに乗客を見捨てて脱出した船長に、殺人罪を適用して重刑を宣告した。救助義務を放棄したほかの船員たちも処罰の対象になった。敵地に残された国軍捕虜たちが、奴隷労働を強いられながら死んでいくのを放置した国と当局者は、なぜ処罰されないのか。
 62年前の停戦時、国軍捕虜6万人を不法抑留するよう指示したのは毛沢東だった。毛沢東は自軍の捕虜らが帰還を拒否し、台湾に行ったことを不快に思っていた。いわばその”腹いせ”で、金日成に国連軍捕虜の抑留を指示したという。
 中国共産党は、韓半島を侵略して韓国の統一を阻み、韓半島を灰にし、国軍捕虜6万人を不法抑留させた。この侵略・蛮行を「正義の戦争」と強弁してきた。
 国軍捕虜問題は、在日同胞としても他人事ではない。在日学徒義勇軍の参戦勇士642人中、135人が戦死・失踪者となった。その中には、中共軍との戦闘で失踪した83人が含まれている。捕虜になった者がいるかもしれない。
 韓国は太平洋戦争の結果として分断され、中国の侵略によって分断が70年も続いている。日中に翻弄された韓国は祖国を守るために戦った国軍捕虜を救出する努力もしてこなかった。弁明の余地のない、国の恥といっていい。
 北韓に抑留されたままになっている国軍捕虜の生存者と拉北者(韓国人拉致被害者)、そして金氏王朝の人質になっている同胞を1日も早く解放せねばならない。韓国政府はまず、あなた方を間もなく救出・解放すると、彼らに希望を与えるべきだ。


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