瞻星臺=編集余話

日付: 2015年09月09日 07時50分

 耳の痛い指摘は聞きたくない。誰しも思うことだろう。日ごろから正論を説いているつもりのメディアとて、例外ではない▼「ホテル・ルワンダ」という映画があった。ルワンダ国内で部族衝突が起き、虐殺が繰り広げられる中で奮闘するホテルマンを中心に描かれた。事実を報じて外国を動かしてほしいという主人公に、外国人記者が答える。「(視聴者は)テレビを見て『ああ何てことだ、恐ろしい』という。それからディナーに出かけるのさ」▼この言葉は、とげのように胸に刺さった。その痛みがよみがえってきた。トルコのリゾート地にシリア人難民の溺死体が打ち上げられた。3歳の男の子だった▼「ヨーロッパは彼を救えなかった」。英紙は嘆いた。フランス大統領は「ヨーロッパの良心が試されている」と訴えた。こうして本格的な議論は始まった▼映画のセリフが脳裏をよぎる。あの写真でなければ、世は動かなかったのではないか。多くの犠牲者が出ていたはずなのに、なぜ今になってなのか。事態が収まるころ、ビーチは何事もなかったかのように人で賑わうだろう▼これが現実だ。だから戦争も難民もなくならない。今は「ヨーロッパの国として」などといっている国も、見ているがいい。いつかまた同じ質問が繰り返されるだろう。


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