大統領の決断 国民の常識とかけ離れていないか

日付: 2015年09月02日 00時00分

 8月は、韓半島が分断されてから70年という月だった。韓国民としては分断克服の覚悟を誓うべき月だった。
 平壌はこの8月に非武装地帯の南側に侵入し、地雷攻撃を行い、韓国軍兵士に重傷を負わせた。韓国は当然の対応として対北拡声器放送を再開。金正恩は自分の独裁基盤を揺るがす放送を沈黙させるため、「準戦時状態」を宣言した。軍事的緊張は高まった。
 結局、南北は「高位級接触」を通じ、実現性のない曖昧な合意をもって当面の軍事的衝突を回避する方法を選んだ。南北関係は表面上、地雷攻撃前の状態に戻った。しかし、韓国は北側から謝罪と再発防止の約束を明示的に受けられず、平壌に緊張緩和と交流を懇願する立場になった。
 金正恩の困った「挑発癖」を直す貴重な機会を逃してしまった今回の「南北高位級接触」の結果に対し、大多数の韓国メディアは、軍事衝突の危機が解消されたと報じている。それが国民から評価もされている。それは事実だ。
 ただ、冷静に振り返る必要もある。
 北韓社会は対南対応に資源を動員すればするほど、動員の持続時間が急速に落ちる構造になっている。対南最後通告を出した状況で、平壌では労働党創建記念日のパレード練習をしていた。つまり、言葉では強気だったが、本気ではなかったのである。
 今回の事態を通じて、金正恩は対北拡声器放送だけで体制が揺らぐという脆弱さを国内外にさらけだした。朴大統領も、北側が挑発したら断固として懲らしめて、挑発の悪循環を断ち切ると強調してきたのが、虚言であったと露呈した。
 朴大統領は、金正恩との対決だけでなく、中国の圧力にも無力な姿を見せた。朴大統領は中国軍の「抗日戦争戦勝節」の閲兵式に出席することにした。多くの国民が、韓国大統領がなぜ中国の「戦勝節閲兵式」に出席せねばならないのか納得していない。朴大統領の出席が、大韓民国の国家利益とアイデンティティ守護と衝突していないか、国民的討論が必要だ。
 青瓦台は、習近平主席が朴大統領を招待したことを強調するが、中国はまだ終わっていない6・25戦争の交戦相手であり、韓米同盟の敵だ。中国軍は韓半島に攻め込み、韓国軍と国連軍の北進統一を阻んだ。「金氏王朝」の後見人でもあり、平壌の対南挑発と核開発を庇護してきた。韓国を北の核攻撃から守るためのミサイル配備にも反対している。
 朴政府は発足以降、大韓民国の伝統的安保の基盤を軽視するような措置を取ってきた。韓米同盟や海洋文明圏との緊密な協力体制より、中国に密着するような姿が目立った。脱北者や北韓同胞よりも、平壌の独裁者との信頼関係を強調してきた。国のために戦って捕虜になった国軍捕虜の救出は、離散家族問題よりも軽視されていないか。
 朴大統領は、自分の判断を優先させ、それに執着する傾向が強いと批判されている。大統領と政府の諸政策や措置は、憲法や憲法的価値を超えてはならない。しかしそれに触れる決定と選択にこだわっている。
 戦勝節閲兵式に参加することにした朴大統領の決定は、金正日の招待に応じて平壌を訪問(2002年)した決定を想起させる。朴大統領は今、あの決定が正しく有用だったと考えているのだろうか。
 今回の金正恩の挑発を通じて確認されたのは、政府が妥協した一方で、国民は戦う準備ができていたことだ。大統領は、非武装地帯に平和公園を作ろうという計画を頻繁に強調している。しかしそれで、国民が望む結果が得られるだろうか。国が守れるだろうか。
 大統領は、国民の常識から外れてはならない。朴政権は平壌の独裁者の尊厳を守ることで得られる平和を平和だと考えてはならない。


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