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97年に亡命した黄長燁・労働党国際担当書記(左)と金徳弘・党中央委資料研究室副室長 |
過去最高級の脱北者は、97年に脱北した黄長燁氏だ。朝鮮労働党国際書記だった。金日成総合大学総長を務めた経歴もあり、主体思想を考案した人物ともいわれる。
黄氏は97年、秘書の金徳弘氏とともに、北京の韓国総領事館に亡命した。当時を知る韓国の事情通によると、黄氏は日本に亡命する考えもあったという。ただ、北韓のVIPは厳重な警備対象で、黄氏が東京滞在中に宿泊していたホテルの客室の電話は、朝鮮総連関係者によって撤去された。中国では北の公館からなかなか出られなかった。
黄氏は北に残した家族を犠牲にした。家族や親せきを政治犯収容所に輸送するための汽車は15両の長さになったという。妻は収監前に自ら命を絶った。
高位級の脱北者は、各国で手厚く保護される。金正恩の叔母の高英淑は、夫とともに滞在していたスイスで米国大使館に亡命を申請した。2人はスイスからドイツに送られ、米軍機で米国に逃げた。米国側から韓国への通知はなかった。「半亡命状態」の金正男は中国になかば保護された状態で、現在欧州に住む成蕙琅も、詳しい所在は知られていない。