6・25戦争勃発65周年を迎えた先月23日、北韓の人権状況を監視する国連事務所がソウルで開所した。「国連北韓人権事務所」だ。事務所は国連の事実調査委員会(COI)が総会に提出した報告書によって設置された。
COIの報告内容に基づき、人権侵害の責任者を国際裁判所に提訴する手続きが進められようとしている。事務所では脱北者からの聞き取りを行い、北韓内の人権状況がどうなっているかをまとめる作業が主に行われる。担当者は5、6人と少ないが、決して小さな一歩ではない。
事務所は当初、バンコクやジュネーブに置かれることも検討された。韓国政府は当初、事務所の誘致に消極的だった。最終的にソウル設置に前向きな姿勢に変わり、事務所が置かれることになった。
韓国では脱北者団体を筆頭に、歓迎する声が多い。メディアも期待を寄せる。外国に目を向ければ、例えば米国政府などは歓迎の姿勢を示している。
国連と韓国の縁は浅くない。そもそも韓国自体、国連が誕生させた初めての国なのだ。第2回国連総会(1947年11月)は、韓半島での統一総選挙の実施を決定した。植民地から解放された韓半島全域で統一政府を樹立するためだった。
ところが、韓半島の北部を占領していたソ連がこれを拒否した。そのため国連は、監視が可能な地域での選挙実施を決議(1948年2月)。その年の8月に韓国は産声を上げた。
しかし、金日成とスターリンと毛沢東は、国連が承認したこの新生独立国を認めなかった。それどころか、その地をわがものにせんと、6・25南侵戦争を起こした。国連は派兵を決議(1950年6月27日)し、韓国を救った。韓国を守るためのこの戦いで命を落とした国連軍戦死者のうち、2300人が今も釜山に眠る。韓国初の国連関連施設「国連記念公園」に。
国際社会における北韓の問題といえば、今までは核開発だけだった。国連は北韓に対して、安保理の対北制裁決議だけでなく、住民の人権改善と北の人権侵害の責任者の処罰を求める決議を総会で採択した。創設直後に韓半島全域での総選挙を決議した国連が、いま再び北韓の解放を命じているような状況だ。
北韓の人権問題を提起したのは日欧だった。こうして核問題だけでなく、人権問題も新たなイシューになった。ただ、その過程に韓国の姿はなかった。
韓国は国連における北韓の人権決議採択で、05年まで棄権してきた。国連をはじめとする国際社会の要求に抵抗してきた北韓を庇護・支援しているのは、ほかでもなく65年前に韓半島を侵略してきた毛沢東の後裔、中国共産党だ。
韓国内に目を転じてみれば、北韓人権法の審議は進んでいない。10年前に国会に提出された法が、審議すらまともになされずに放置されているのは、国会内に従北勢力がいるためだ。
韓国は65年前、国連によって救われた。釜山まで押し込まれていた韓国に反撃の力を与えたのは、米軍を中心とする国連軍だった。
その国連が、北韓の人権状況にかつてない関心を払っている。今年は「南北分断70年」の年でもある。70年も分断された地に住み、辛酸をなめ続けている「同胞」に対し、韓国は法制定という態度表明すらしないのか。韓国の「本気度」が試されよう。
北韓の金正恩体制は「国連北韓人権ソウル事務所」の開所に激しく反発している。これは平壌が、国連が68年前に決議した韓半島全域での総選挙による統一政府の樹立、つまり北韓の解放が遠くないことを自覚しているからだろう。
韓国内の反対派は、事務所設置を北韓が挑発的行為と受け取り、関係が悪化すると懸念する。だがもはや、そのような懸念を抱いている余裕はない。
歴史上類まれな暴政によって、住民の身体まで矮小化してしまった北韓において、住民の人権状況改善は急務だ。大韓民国は、植民地時代より過酷な70年間を生きてきた北の「同胞」の救出をこれ以上引き延ばしてはならない。