第1次会談(52年2月~4月)
韓国側 日本が受諾したカイロ宣言が、韓国の状態を奴隷状態と規定したが、日本が財産問題を考える時、これを常に念頭に置くことを強調したい。日本は依然と、韓国においての財産取得が合意的だったと考え、したがって在韓日本人財産に対する所有権自体、若しくはその果実、進んではその種の権利行使に必要な措置を要求する立場にあると理解できるのか。
日本側 そうだ。
韓国側文書86 「第1次韓日会談請求権分科委員会会議録、第1-8次、1952.2.20-4.1」P145~148
※日本側は在朝日本人財産に対して請求権を提示し、交渉は決裂
1953年6月13日
日本側作成文書
「日本外交の基調は国連協力である。従って李大統領が国連の休戦案に反対の態度を持するに於ては、現在の日韓会談は、当分休会せざるを得ない。
理由
1.休戦の結果、統一政府が出来るか、反対に南北両政府の事実上の対立となるかは当分、事態は判然としない。
其前に取り急いで話を纏める必要性に疑問あり
3.茲(ここ)で我方一応、強硬態度を示すことは、将来交渉再開の際有利である。
5.万一、李が没落すれば、知日派の台頭する可能性あり。此場合、会談は有利に展開する。
文書番号1054「日韓会談無期休会案」久保田、P1~4
第3次会談(53年10月・久保田発言)
日本側 韓国側から対日請求権において新しい考慮、即ち賠償を要求するならば、日本はその間韓人に与えた恩恵、即ち治山、治水、電気、鉄道、港湾施設に対してまで、その返還を請求するだろう。
韓国側 日本がいなくても韓国は、近代国家として当然な進歩を遂げていただろう。
日本側 日本が進出しなかったならロシアまたは中国に占領され、現在の北朝鮮のようにもっと悲惨だっただろう。
韓国側 日本が補助金を提供したのは韓人のためではなく、日本の権力機構の擁護のためにしたものだ。日本側は謙遜な態度を取ることを望む。
日本側 過去を語らずに、また賠償などを取り上げずに、単に法律面においての討議をしよう。
韓国側 在韓日本人の蓄財が正当だと思うのか。当時の資本構成だけ見ても95%が日本人のものとなっていた事実までも、平な機会によって獲得したものと思うのか。一例を挙げれば漁業権、鉱業権のような官免許によるものは、韓人はまったく所有できなかった。
日本側 それは資本主義時代においては仕方のないことだ。
韓国側文書97「第3次韓日会談(1953.10.6-21)請求権委員会会議録、1953.10.9-15」P25~38
第4次会談(58年4月~60年4月)
日本側 韓国側から示された提案(基本関係・対日請求権・在日韓国人の法的地位・漁業権などの委員会設置)はわが代表団の研究課題となっている。あなたの提案を研究するためにもう少し時間をいただきたい。
韓国側 わが代表団はできる限り速く重要な作業に取り組みたいと気をもんでいる。このように何もせずに時間が過ぎるのを許したくない。
※日本側は一部の文化財を返還したが、全文化財の引き渡しはできないと主張した。
第5次会談(60年10月~61年5月)
韓国側 韓国の請求権は全部放棄することはできない。明白な請求のような言葉は必ず入れなければならない。
日本側 難しい問題があるが、それはこの金額を現在の円貨にどう換算するかという問題だ。他国との場合には大概その金額を10倍にした。
韓国側 10倍というのは根拠がない大雑把なものではないか。日本円をドルに換算するのが合理的だと思われるが、その換算率は韓国の対日請求権が確定した終戦当時、7対1だった。
日本側 7対1と10対1では大きな差がある。これから研究するべき重大な問題だ。
外務部長官宛ての韓国側電報(番号:TM-1291)
朴正熙がクーデターを起こす
第6次会談(61年10月~64年12月)
韓国側 個人の請求権は個別に請求できる道を開いておこう。
日本側 私たちとしてはやはり自然人や法人関係の請求権一切が、この会談で解決されたらという希望である。また日本では個人関係の私有財産権は保護するという立場を取っているので、項目を入れないと言ってもその権利は残るようになるだろう。
韓国側 個人財産が尊重される場合でも、政府間で一旦協定ができると、この会談を盾に拒否することになれば困難だ。
韓国側文書750 P182
「日韓会談・全面公開を求める会」の李洋秀・事務局次長提供の資料などから作成