白頭学院は1946年に創立された。
「白頭」とは実に印象深い二字である。祖国のため赴かんとする同志らが互いの白髪を見つつ歳月を共にした、という意味がこめられている。
プロローグは、学院初代理事長であった曺圭訓氏がこの一語を用い「文化事業団体白頭同志会」を結成したことにある。
曺氏は先ず、私財を投じ、大阪市住吉区遠里小野に200坪のグウランドを備える150坪の木造校舎、建国工業学校(男子)・建国高等女学校(女子)を設立した。この時、生徒数は200名、教職員は15名。学校長には白頭同志会の李慶泰氏が就任した。つまりは、曺圭訓氏による学校経営と李慶泰氏の担う現場教育という両輪が以後、六九年におよぶことになる「白頭」の学校を育むことになった。曺氏は2011年に国民勲章無窮花章を受章した。故人への授章という、非常に珍しいケースとなった。
白頭学院はかくして来年3月、創立70周年を迎える。2015年4月現在、建国幼稚園、小学校、中学校、高等学校を運営しており、生徒総数は406名、教職員は70名を数える。
校舎は生徒数の増加などに合わせ、新校舎の建設や、増改築を行ってきた。最も多くの生徒が授業を受ける本館は1979年(昭和54年)に建てられている。
ただ、昭和56年の建築基準法に基づく現行の耐震基準が導入される前の建物であることや、95年の阪神・淡路大震災、そして2011年の東日本大震災などで、生徒や保護者、そして教職員の中から、校舎の耐久性・耐震性に対して不安の声が聞かれていた。2010年、校舎の建て替えや補修を宣言し第18代理事長に就任したのは金聖大氏。学院の卒業生(第9期)で、過去、10年間、理事を務めた人である。就任当時、70歳。決して無理の利く年齢とは言えなかったが、懸案となった資金集めのため身を粉にした。気がつくと入退院を繰り返すほど身体を酷使していた。「感謝している」と振り返る関係者は多い。金聖大氏を陰で支えた人に、副理事長の高敬弼氏がいる。氏の存在も忘れることはできない。
5月9日に行われた新校舎竣工式当日には、曺圭訓先生顕彰事業会(李正林会長)から初代理事長曺圭訓氏の胸像が、そして白頭学院卒業生の有志らから、初代校長の李慶泰氏の胸像も贈られた。
また、学院PTA(姜盛圭会長)は金聖大理事長に感謝の気持ちを伝えるため、新校舎竣工式に合わせ、理事長の胸像を贈った。金聖大氏は固辞していたが、保護者の強い気持ちに折れた。
ちなみに、金聖大氏が奔走するなかで、教育現場を担ったのが李光衡校長だった。駐日韓国大使館首席教育官を務めた経験から、在日同胞の教育現場に精通している教育のエキスパートである。
校舎の建て直しは2013年2月1日に始まった。プールや付属施設が解体されるのを皮切りに、2013年3月に南館校舎の新築工事がはじまった。翌14年3月に南館校舎が完成し、西館校舎の改修工事がはじまり、同年6月に完成。12月には本館校舎の耐震・改修工事も完成した。
その後、外壁工事や駐輪場整備工事などを終えて15年4月に全校舎の環境整備事業が完成した。
新校舎竣工式を迎え、学院関係者はほっとした表情を見せた。
金聖大氏や李光衡氏はその先を見据えている。「これからが勝負」と気持ちを引き締めている。
新校舎に見合う教育を、つまりは水準をどのように引き上げるか――と、両氏はむしろ緊張の面持ちである。それは、とりもなおさず生徒の増加を促すことになる。新校舎になり生徒の受け入れ環境はこれまでの384名から620名となった。
白頭学院はようやく、有名他校に並んだと言っていい。金聖大氏や李光衡氏が気を引き締めているのはこのことだ。進学率を高い水準に据えることや、有名校への進学の道を開くことや、さらには、IT教育設備を導入するなどがやっと可能になったのだ。
「これからが勝負」という意識は教育現場の教職員にまで浸透している。教育設備が整っても、それを活用する現場にかかる役割はさらに重くなる。
「白頭学院第二の創設期」という言葉が生まれている。今の緊張と未来を共有したものとして人々に受け止められている。
上部写真:新校舎竣工記念式典でのテープカット