大韓民国への反逆 その連鎖を絶て(55)

首領に従い、60年の悲劇は生まれた
日付: 2015年05月20日 00時00分

 朝総連は、平壌の教示に無条件で追従している。朝総連の基本組織はもちろんのこと、朝鮮大学や在日本朝鮮社会科学者協会、在日本朝鮮人科学技術協会などの傘下団体の幹部らが、スパイ事件から密輸まで、多様な違法行為に連累してきた。文芸同、商工会、留学同なども大衆動員などを行ってきた。
『総連結成60年大衆講演資料』は、「総連は結成後、去る60年間、民族的愛国運動で類例のない成果を収めてきました」と自画自賛している。ところがその内容は、非常に空虚なものといわざるをえない。
まず問いたい。一体何が「類例のない成果」なのか。栄光の60年というが、現在の組織は、結成当時の10分の1にも満たない。これをどう説明するのか。
朝総連は「祖国往来の権利」を勝ち取ったと誇るが、「祖国往来」は、徹底した監視と統制の中で、北送者という「人質」を利用して、朝総連同胞を搾取する装置になった。10万人に近い北送同胞の中で再び日本の地を踏んだのは、労働党に巨額の献金をした、ごく少数の朝総連幹部の親族だけだった。
北送同胞は政治的粛清を免れたとしても、日本の親族がどれほどの送金をしてくれるかによって、処遇と運命が決まった。親族を「人質」に取られた在日同胞は、要求されるとおりに金を出し、「革命事業」に寄与せねばならなかった。
先週、許宗萬の次男がマツタケ密輸の容疑で逮捕された。朝総連は不当な弾圧だというが、真実は裁判を通じて明らかになるはずだ。
この事件も朝総連の体質を示している。独裁体制は必ず腐敗する。平壌の金氏王朝がそうだし、その走狗の朝総連もそうだ。
初代議長の韓徳銖時代から、朝総連の少数の”貴族”たちは、平壌の特権層と同様に恵沢や特別管理を受けてきた。許宗萬の息子たちも代を継いだ特殊階層だ。許の長男は、平壌で特別な訓練を受けて朝総連本部で働いているという。
朝総連は、自らの違法行為を日本当局の不当な弾圧だと主張してきた。例えば、「1993年と1994年のいわゆる核疑惑や送金問題などを理由に敢行した内外の敵の反共和国、反総連策動」(大衆講演資料18ページ)とあるが、核武装と朝銀信用組合の破綻で、これらが疑惑ではなく事実であることが明らかになった。
「総連結成60年大衆講演資料」は、総連結成過程を詳しく紹介している。「民戦時期の問題と主体的な路線転換方針の提示」では、「当時、在日朝鮮人運動はどこへ進むべきかを模索した人々も少なからずいました。在日朝鮮人運動のこのような実情を洞察した金日成大元帥様は祖国解放戦争の真っ最中の、一瞬、一瞬が貴重な時間だった1952年12月2日に最高司令部が位置する場所で、当時韓徳銖同志をはじめとする在日朝鮮活動家たちが派遣した在日朝鮮連絡員を接見し、在日朝鮮人運動の路線転換方針を提示されました。(中略)。そして、路線転換のための事業が本格化され、民戦時期の運動は、根本的に間違ったこと、つまり、路線と方法が間違ったこと、戦術を変えるのではなく路線を変えねばならないこと、今後は、偉大な首領の教示が指示であることなどの主張と意見が次第に支配的になってきます」(講演資料5~7ページ)と書いてある。
今こそ朝総連は、過去60年にわたって同胞を疲弊させてきた、首領の教示に盲従する路線から脱却せねばならない。戦術を変えるのではなく、路線を変えねばならない。北韓同胞を解放せねばならないのだ。 (続く)


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