1980年の光州 北韓軍人600人?

地検発表と北の冊子 奇妙な一致 政府は北の介入を否定
日付: 2015年03月26日 07時50分

 韓国現代史において「民主化運動の聖地」といわれる光州。そこで起きた最大のデモが1980年5月18日に発生した民主化運動だ。世にいう「5・18」。10日間にわたる軍とデモ隊の衝突で、210人の死者・行方不明者が出た。
この光州民主化運動が、北韓の特殊部隊によっておこされたものであるとの疑惑が浮上している。
元軍人で、インターネットの情報サイトを運営する池萬元氏は19日、ソウルのプレスセンターで「5・18は、北韓の特殊軍600人の仕業であることを証明する対国民報告大会」を開催した。池氏は、5・18が北韓のゲリラ作戦だったとする根拠として、1996年7月にソウル地方検察庁が発表した捜査結果を提示した。
「1980年5月21日午前8時、大学生300人が移動中の20師団指揮部を襲撃し、師団長用のジープ14台などを運転し、亜細亜自動車の工場に移動。9時に別の300人が合流し、計600人が4台の装甲車と374台の軍用トラックを奪取し、同時に出発した」
この報告内容は、朝鮮労働党が1985年に発刊した「光州の憤怒」という冊子に出てくる内容と一致しているという。北韓の記録には、銃を筆頭に略奪した武器や軍用車両の総数が具体的に記載されており、戦術の詳細もある。別の書物には5308丁の銃と弾薬、8トンのTNT(爆薬)を略奪したとの記述もあり、これらは現場にいなければ書けない内容だというのが池氏の主張だ。
池氏は、デモ隊が扇動された可能性を指摘する。死者166人(身元不明者12人)のうち、大多数が10代、20代だったが、大学生は皆無に近い。当時の民主化デモは大学生が中心だったが、5・18で死亡した大学生や知識人はほとんどいない。有罪判決を受けた生存者283人にも大学生はほとんどいなかった。
後に国から民主化の有功者として認定を受けた人の中に、5月21日の軍需物資奪取作戦に参加したという人は皆無だ。池氏はこのことも、武器の奪取は北韓のゲリラが主導したとみる根拠の一つに挙げている。また、わかっているだけで2冊の北韓冊子が「5・18は対南工作の歴史の最高峰」と称賛している。
5・18をめぐる論争は、2013年に大きく注目されるようになった。北韓軍人600人が光州にいたとの主張が出たためだ。また、月刊朝鮮の元編集長、金容三氏が、テレビで「朝鮮労働党の対南部門に所属する多くの人が、光州問題が終わった後、一斉に勲章を受けた」というインタビュー内容を伝えた。インタビュー相手は元朝鮮労働党書記の黄長燁と、黄氏とともに脱北した党傘下の貿易会社元社長、金徳弘氏で、金編集長は1996年と98年に両者に取材したと明らかにした。光州に派遣された元軍人を名乗る脱北者もテレビに出演し、疑惑はさらに拡大した。
”火消し”を行ったのは政府だった。同年6月10日、鄭烘原総理(当時)が国会で「5・18に北韓軍が介入しなかったというのが政府の判断。これに反する表現は歴史歪曲であり、歴史歪曲は反社会的行為」と発言したのだ。当時、光州を取材したジャーナリストの趙甲済氏も、北韓軍は来ていなかったとの趣旨の発言を数回している。
19日の報告大会会場は、定員をはるかに上回る500人が来場した。池氏は4月にも講演会を開き、5・18は、北韓のゲリラ作戦との主張を広めていく予定だ。


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