大韓民国への反逆 その連鎖を絶て(47)

「金氏王朝」への追従 今もなお
日付: 2015年03月18日 00時00分

 太平洋戦争が日本の敗戦で終わったとき、連合国に分割占領されたのは敗戦国である日本ではなく、その植民地だった韓半島だった。ソ連に占領された韓半島の北部にはスターリン主義体制が移植された。
日本は北方4島を不法に占領されたということで、敗戦から70年の今までソ連(ロシア)と平和条約を結んでいない。韓半島は、国土の約55%がスターリン主義体制となり、今やそれよりも苛烈な暴政の下に置かれている。
「金氏王朝」の支配期間は今日、植民地支配35年間の2倍になる。
スターリンが平壌のソ連占領軍司令部に「ブルジョア民主主義政権」の樹立を極秘指令したのは1945年9月20日、日本軍降伏の約1カ月後だった。スターリンの走狗となった金日成が朝鮮労働党北朝鮮分局の責任秘書のなるのは、彼が33歳の1945年12月だ。
平壌を筆頭に、共産陣営は、韓半島の分断を固着させたのは李承晩と米国だったと宣伝してきたが、スターリンの秘密指令によって1946年2月8日 には「北朝鮮臨時人民委員会」が作られていた。金日成は翌47年10月、モスクワに呼ばれ、スターリンによってソ連の衛星国の指導者として正式に選択された。北韓が「憲法」を制定するのは1948年4月で、韓国が制憲議員を選出するための総選挙を実施する前だった。
20世紀後半の世界史を変えることになる「6・25戦争」(韓国戦争)がどうのように勃発し、展開していったかは、ソ連の解体にともなって公にされた文書などを通じて、すでに歴史として整理されている。スターリン、毛沢東、金日成が演じた役割や、共謀も明らかにされている。
この痛恨の分断史を北韓はどう糊塗してきたか。朝総連は今もなお次のように宣伝・教育している。
「1945年8月15日、民族の太陽である金日成将軍が苦難にみちた抗日武装闘争を勝利にみちびいて祖国を取りもどし、朝鮮人民は日本帝国主義の暗澹たる植民地奴隷の状況から解放された」
「8・15光復後、北朝鮮では祖国に凱旋した金日成将軍の賢明な指導のもとに人民委員会が組織され、人民自らの力によって新しい民主朝鮮を建設する道に入った。それとは正反対に、南朝鮮ではアメリカ帝国主義が日本帝国主義に代わって植民地従属化政策を実施した」
「南朝鮮を占領したアメリカ帝国主義は、1947年に入ると朝鮮分断の企図を露わにし、国連の看板をかかげて南朝鮮で単独選挙を実施して傀儡政府をつくりあげる道に進んだ」
「1950年6月25日、アメリカ帝国主義は、不意に共和国にたいする侵略戦争の火ぶたを切った」
朝総連のホームページに掲載されているこれらの記述は、盲目的に「金氏王朝」に追従する朝総連の本質をよく表している。一言でいえば、この組織は平壌の”主人”の命令さえあれば、いかなる犯罪でも平気でやってのける、金日成・金正日・金正恩の分身だ。だから韓国政府は、彼らを反国家団体と規定したのだ。
彼らは自らの出自、アイデンティティを嘘で築きあげるしかない集団だ。この朝総連は今、「結成60周年」の同胞大祝祭・慶祝舞台を5月に開催すると大々的に宣伝している。朝総連中央本部にいる「幹部」たちに人間としての良心が少しでもあるのなら、祝賀ではなく反省と謹慎の期間にすべきだ。
朝総連がこのような存在になったのは、日本の政治的風土と無関係ではない。(続く)


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