在日の従北との闘争史~6.25戦争と在日~⑭

日付: 2015年03月04日 04時46分

「在日韓僑在郷軍人会」の発足        
1951年1月頃から米軍と韓国軍に所属していた在日義勇軍の一部は除隊して、米国と日本のサンフランシスコ条約締結前に日本に帰還することができた。彼らは6・25戦争によって中断していた学業や仕事を開始した。
ただ、彼らを待ち受けていたのは、参戦前よりもひどくなった民団と朝総連の対立であった。勢いを増す朝総連に対抗できるのは、民団側では戦闘を経験した義勇軍出身者しかなかった。
在日学徒義勇軍同志会の幹部は、日本に戻ってから東北地方の朝総連系同胞が多く住む地域を攻撃した。
在日義勇軍出身者たちは、朝総連が優勢だった時代に民団組織の基礎を作った。彼らは、帰還兵の李奉男や鄭烔和を中心に1951年9月30日、「在日韓僑在郷軍人会」(軍人会)を発足させ、初代会長に鄭炯和が就任することになった。
軍人会は会員の福祉向上や未帰還者の帰還促進運動、支援事業を行う一方で、朝総連との闘争で先鋒隊の役割を果たした。
組織発足後、軍人会は地方組織を強化する。一方で1958年5月「在日大韓戦友会」と名称を変え、新たに活動した。
「在日韓僑在郷軍人会」と名称を元に戻したのは1962年8月。この頃から軍人会会長は、「大韓民国在郷軍人会日本支部」会長も兼任するようになり、組織も二元化された。
本国の「在日学徒義勇軍同志会」       
本国にも在日義勇軍出身者の集まり「在日学徒義勇軍同志会」(同志会)がある。同志会は1951年4月頃に釜山の少林寺で発足した「在日韓僑学徒義勇隊」(義勇隊)が始まりだ。
義勇隊は1961年5月16日以降、社会団体解散命令により解散させられたが、1965年10月22日に政府から社団法人の認可を受けて、同志会が新たに発足した。初代会長には安寿商が就任した。
同志会が社団法人になったことで、在日義勇軍の就業保障問題などは法的に確保されるようになった。1967年には政府から身元が確認された在日義勇軍317人に防衛褒賞が授与され、翌年には「国家有功者」に指定された。
軍人会はこのような本国の同志会との緊密な関係を維持する中でより効果的な活動を行うために1988年2月、「在日学徒義勇軍同志会日本支部」に生まれ変わった。それが今日まで続いている。
民団で活躍した軍人会出身者たち   
軍人会は民団の要職を歴任した人たちを多く輩出している。
初代の軍人会会長に就任した鄭烔和は1960年以降、民団中央本部で組織局長、副議長、副団長、監察委員長を歴任。中央教育委員長も務め、在日同胞の地位向上と教育増進にも寄与した。
朴炳憲は、民団中央本部の事務総長や副団長を経て、1988年に第38代中央本部団長を歴任。在日同胞の権益擁護とソウルオリンピックで韓日の懸け橋としての役割を果たした。
体育会出身の李道述は、在日本大韓体育会関西支部長を務め、在日同胞の青少年たちの育成に貢献し、柔道界で後進の育成に尽力した。滋賀本部団長を長年務めた鄭準和は、1975年から本格的に始まった在日同胞の墓参団事業に多大な貢献をした。
1973年から1979年まで広島本部団長を歴任した崔成源は、韓国奨学会と商工会を設立して、在日同胞の生活向上と本国との交流に尽力した。
(本連載は今回で終了します)


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