大韓民国への反逆 その連鎖を絶て(45)

また対局への弱さにつけ込まれるのか
日付: 2015年03月04日 04時08分

 朝総連本部建物の競売が奇怪な過程を経て決着しようとしている。北韓による日本人拉致事件を早期に解決するための政治的裏取引があったと疑われた。この過程で、2つの問題は分けて対応すべきだという主張が、日本当局の一部で根強く叫ばれてきたという。
拉致工作の立案者と、その実行犯である朝総連に恩を売って見返りを得ようという発想だとしたら、まったく話にならない。対日工作基地と呼ぶべき朝総連本部を、巨額の公的資金を投じた末に、元の所有者に継続使用させるというのはどういう了見だろうか。
今まで日本の治安当局が監視・家宅捜索まで行なってきたのは、司法手続きに基づくことだ。今回も日本政府は「司法手続きに則って厳粛に」と強調してきた。それは嘘だったのか。あるいは、このテロ国家の対日工作拠点を温存させることが日本の「国益」にかなうということか。
半面、日本社会の一部では韓国に対する「温情外交」ないし「配慮外交」を中止すべきだという話が囁かれた。日本の政治家はよく「民主主義と市場経済という価値観を共有する」として、韓国との関係の重要さを強調する。
ではなぜ、どのように状況は変わったのか。
戦後、共産主義陣営の謀略や宣伝に脆くもやられてきた日本社会の歴史的経過を見れば、この件においても典型的な対日工作があったことが疑われる。
平壌や朝総連だけでなく、共産主義陣営は日本的意思決定の仕組みの脆さ、特に大局に弱い日本社会の弱点を徹底的に研究して工作に臨んだ。陣営は政治的・戦略的目標が決まれば、それを達成するためにあらゆる手段を動員し、謀略や煽動、洗脳を行った。それが基本だった。
代表的な例は、在日韓国・朝鮮人の「北送事業」だ。その歴史的な因果関係は今も持続している。
「北送事業」の本質は、人道主義事業という名目で、自由世界から全体主義社会への住民大量送還だ。当時の岸信介政権は、9万3000人以上の外国人を、国連が侵略国家と規定した全体主義独裁体制へ送る決定を下した。トルーマン大統領と李承晩大統領が韓国戦争で国連軍の捕虜と共産主義勢力の捕虜交換の交渉過程で、自国将兵までを犠牲にしたのとはあまりにも対照的だった。
日本政府は韓国の反対を無視し、韓日国交正常化以降も北送を続けた。北送事業が終わったのは「帰還希望者」がいなくなった1984年、韓日国交正常化の19年後だった。
当時の韓半島情勢はどうだったのか。韓日国交正常化後、金日成は朴正熙大統領を殺害するための特殊部隊をはじめ、大規模なゲリラ集団を韓国に侵入させた。それは1度や2度ではなかった。また、ベトナム戦争派兵で生じた軍事力の空白を突いて、武力南侵も試みた。金日成の全面南侵計画を止めたのが毛沢東だったことは、近年、中国側の歴史文書などによって明らかになっている。
冷戦の現実を無視していた日本政府は、韓半島においての北韓の脅威に目をつぶり、岸政権が決めた「北送事業」を続け、日朝関係の前進・拡大を図ってきた。平壌と朝総連の対日工作の輝かしい勝利だった。
国連までが断罪している金正恩体制に恩を売る愚かな措置は、北韓住民と国際社会の意志を裏切る行為だ。歴史的大局を見誤ってはならない。
これまで平壌と朝総連、そして彼らの「宿主」にされた親北勢力(特にメディア)が、韓日関係と日本の真の「国益」を害してきた。今日の日本はまた、北韓の工作にはめられようとしているのではないか。(続く)


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