【寄稿】 崩れ去った「カーター=人権」

金烈洙(誠信女子大学 国際政治学教授)
日付: 2015年01月15日 05時19分

 久しぶりにカーター元米国大統領(以下、カーター)の名前が韓国メディアに登場した。どのようないいニュースだろうかとすぐに確認してみた。しかしそれは違った。カーター財団が最高裁での判決を待つ李石基元国会議員(以下、李石基)に対する声明を最高裁に送ったという内容だった。
声明文の内容は「大韓民国の現職国会議員に対する有罪判決を憂慮する」としており、「李石基議員に対する有罪判決が1987年以前の軍事独裁期に作られた非常に抑圧的な国家保安法によって申告されたという事実に注目している」というものだった。本当にあきれるばかりである。事実関係もよく知らない、頭ごなしの嘆願書だからだ。
カーター(左)と金日成
 カーターは、韓国の司法制度が1987年以前で止まっているか、北韓と似たようなものだと思っているようだ。李石基の反国家的活動が、世に明らかになったのは2013年8月であり、国会の同意を得て彼が逮捕されたのは9月だった。11月から公判が始まり、2014年1月に1審判決があった。
3カ月間、計45回にわたって公判は行われた。全斗煥、盧泰愚ら元大統領の重大な事件(不正資金、12・12事態、5・18民主化事態関連)でさえ、後半は27回だった。これは李石基の公判が、真実を明らかにするためにどれほど真摯な過程を歩んできたかを物語っている。2014年8月には2審の判決が言い渡され、今は結審のための公判を残すのみだ。いずれにせよカーターは、韓国の司法制度が、張成澤を即決で処刑した北韓の司法制度と同じだと混同しているのだろう。
北韓は対南革命のため、スパイ派遣、地下党構築、そしてインターネットやSNSを通じた無差別的な宣伝扇動活動を展開している。それに対応するため韓国の国家保安法は存在する。
万が一国家保安法がなければ、北韓を称賛・鼓舞する個人や団体にいかなる制裁も加えられなくなる。1990年代の中部地域党、統一革命党、民族民主革命党事件や、2000年代の一心会、そして旺載山スパイ団事件などは、すべて同法によって裁判にかけられた。
1948年に制定された国家保安法は、1987年以降も民主化の発展水準に合わせて数回にわたって改訂されてきた。カーターは韓国の国家保安法がなぜ必要であり、どのように改定されてきたのか、そしてこの法が米国の愛国法よりも人権侵害の要素がどれだけ少ないかを知ってから話をすべきではないのか。
カーターが今回だけ、そして国会議員だけを対象に声明書を送ったことも理解できない。過去の地下党およびスパイ団事件も、すべて国家保安法によって裁かれているのだ。なぜ当時は何も言わなかったのに、今回だけ関心を示したのか。これは彼が李石基の弁護人サイドと家族に会い、その要望に応えて声明書を送ったという以外に説明できない。
さらにカーター財団は「訴訟で提示された事実の真偽に関して言及はしない」といっているが、ならばいっそ(事情を)よく知らないと告白した方がよかったのではないか。また、惜しむらくは、多くの米国の現職・元大統領が「北韓人権法」制定など北韓の人権に対して関心を持ってきているのに対し、カーターはそうではないということだ。
彼の頭では、1979年の韓国と1994年の北韓が大きな場所を占めているようだ。1979年に大統領として韓国を訪れたカーターは、首脳会談の雰囲気が冷めると知りつつ、韓国の人権侵害問題を提起した。1994年に北韓を訪問したカーターは、大同江に遊覧船を浮かべ、金日成と対話した。A4用紙10枚の北韓訪問記がその結果だ。しかしそのどこにも、北韓の人権問題に対する言及はなかった。「カーター=人権」という等式は崩れ去ったのだ。
現在の韓国は、緊急措置下にあった1979年の韓国ではない。権威主義時代だった1987年の韓国でもない。カーターが韓半島の平和と人権に寄与したいなら、北韓政権の人権侵害の実情と、生死をかけて脱出してくる脱北民に対する関心を持つべきだ。さらにこのような北韓政権を「見習うべきモデル」と宣伝・扇動する李石基らを善導することに関心を持つべきだ。それでこそ人権という、彼自身唯一のトレードマークが後世まで残るのではないか。


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