【座談】いつまで分断を我慢するのか 建国革命を完結させよう<1>

李春根×李江湖×洪熒
日付: 2014年08月15日 00時00分

 韓半島分断から来年で70年目を迎える。分断期間が35年におよんだ日本の植民地統治期間の2倍になろうとしているのは、明らかに非正常だ。35年間の植民地としての歴史を恥だと憤慨する人々だが、より恥ずべき分断70年については何とも思わない風潮をどう考えるべきか。韓国海洋戦略研究所の李春根研究室長と、時事誌「未来韓国」の編集委員を務める李江湖氏に、洪熒・本紙論説主幹が聞いた。

 

李春根
 洪熒 われわれの力で解放を勝ち取れなかったのが分断の決定的理由だった。しかし、分断は歴史の必然だっただろうか。日本が敗戦過程でもたついたため、ソ連の参戦を招いたのは明確だ。対日参戦を密かに準備していたソ連に対し、日本が米国との終戦仲介を頼んだのは、悲劇的な情報力の欠如であり、日本の意思決定文化の致命的弱点ともいえる。米国はなぜ、ソ連に対日参戦を要請したのか。
李江湖 もし日本が少しでも早く、ソ連が参戦する前に降伏していたら、韓半島の分断もなく、世界史は変わっていただろう。日本は国家が軍に引き摺られる戦争をした。敗戦がはっきりした時点で米国に降伏すべきだった。対日復讐心と共産主義膨張戦略を持っていたソ連に占領されれば、日本は滅びることはわかっていたはずなのに。日本は慎重な国なのに、最悪の状況を想定せず安易に対処するときがある。私は、日中国交正常化のときも、日本がなぜそこまで急ぎ、盲目的に経済支援したのが理解しがたかった。
 ソ連が参戦する前に降伏していたら、蒋介石が毛沢東を掃討しただろうし、歴史は全く違ってきたはずだ。どうも日本はこういうことについて総括しない。ただ、過ぎ去ったことは水に流してしまう。
 李春根 ある専門家が日本の外交政策について述べた最初の言葉が「外交政策がないことが政策だ」だった。その時々の状況に適応するということだ。韓半島分断の歴史的根源をたどれば、日本を敗亡させるため行ったカイロ宣言(1943年)は、日本が獲得した領土をすべて放棄すべきとしていた。米軍が日本の戦争継続能力を過大評価して、ドイツが降伏した後も18カ月は戦わなければならないと分析してソ連に参戦を要請した。米国よりも日本の事情をよく知っているスターリンは、2発目の原爆が投下された8月9日に宣戦布告をした。ソ連軍が破竹の勢いで韓半島の南に進撃するのを見て、米国が急いで北緯38度線を提案した。38度線を提案したラスク大佐は後に国務長官として韓国に来たとき、ソ連が米国の提案を受け入れるのを見て驚いたと話していた。
ソ連参戦が協議されたヤルタ会談

 日本は国力を保全したままではなく、国力を使い果たした後に降伏した。この判断に問題があった。日本は敵を設定する際の基準も甘い気がする。
李江湖 日本は、日中国交正常化の時も、行き先もわからないまま終電に乗るような行動をした。米国の戦略を無視し、日中国交正常化を急いだ。太平洋戦争のときも、米国との国力差は10対1だった。ソ連が介入する隙を与えなかったら韓半島は分断されなかった可能性が高い。
李春根 日本は、大陸で戦争していた途中で、海洋に戦争を拡大した。日本の力では両面戦争が不可能だったのに。
李江湖 在日同胞の北送は、日本社会が在日韓国人をアウシュビッツに送ったようなものだった。
洪 そういう面で、韓国と日本は、制度を共有したことはあっても価値を共有したことがないという感じがする。私たちは、アウシュビッツをなくすべきだと考えるのに、日本社会ではアウシュビッツから日本人さえ救い出せばいいと思う人が少なくない。(→2へ続く)

◆ 李春根(イ・チュングン) 1952年、ソウル生まれ。延世大学卒業後、米テキサス大で政治学、オハイオ州立大で歴史学の博士号取得。世宗研究所研究委員などを経て、韓国海洋戦略研究所研究室長。著書多数。


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