ベトナム参戦韓国兵の民間人虐殺報道への反論(上)

民間人とゲリラ兵の判別は困難 特殊な戦場環境での犠牲
日付: 2014年07月24日 00時17分

 今年は、韓国軍がベトナム戦争に派兵、参戦してから50周年になる年だ。1964年9月に移動外科病院(130人の医務中隊)とテコンドー教官団を派遣した第1次派兵以来、1つの建設支援団(工兵)、2個歩兵師団、1個海兵旅団、2つの移動外科病院、輸送部隊など約5万人の軍団規模だった。1973年3月に完全撤収するまで約8年6カ月間、延べ約32万人が参戦した。そして約5000人が戦死し、1万1000人以上が負傷した。
最近、ベトナム戦参戦韓国軍が民間人を大量虐殺したという告発が北岡俊明、北岡正敏兄弟によって提起され、月刊『正論』7月号や『SAPIO』8月号など一部のメディアがこれを大々的に紹介している。産経新聞は6月29日付に北岡兄弟が書いた本『韓国の虐殺事件を告発する―ベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実』を、大野敏明編集委員の書評の形で紹介している。
北岡兄弟の低級な主張を批判し、指摘するのは気が進まないが、非理性的な憎悪心を煽る上記冊子のような内容が拡散されれば、近年日本社会で見られる嫌韓感情や人種主義的な偏見が危険なレベルに発展する可能性もあると思われる。そのため、やむなく北岡兄弟の主張と著書、そして彼らの主張に同調し、拡大させる動きに対して、問題点を指摘し警告せざるをえないのである。
指摘の対象は、主に事実関係の誤認や意図的な歪曲と捏造だが、著者の頑固な軍国主義美化と、そこにつながる歴史認識なども糺すべきだろう。特に、極端な人種主義的差別意識、ベトナム戦争および韓国軍の参戦に関する事実関係の誤認、韓国軍を傭兵だと侮辱した部分、ベトナム戦争などと関連した現代史、特に20世紀後半の東西冷戦に対する無知、北岡氏の軍国主義的歴史観なども指摘せざるをえない。
北岡兄弟の上記著書の性格や、2人の価値観や行動の動機と目的がわかるように、2人が共著した本の冒頭のページを見てみよう。北岡兄弟は、現代史の一大汚点・韓国の大量虐殺事件を告発すると言い、本をこのように書き始めている。

本書は、ベトナム戦争中の韓国軍による、民間人の大量虐殺を告発したものである。その目的はただ一つ、慰安婦問題や歴史認識問題など、日本に対する侮辱や、日本をおとしめる行為を、即時、中止させるためである。
韓国は、日本の慰安婦をとやかくいう前に、おのれの国の民間人大量虐殺を、世界に対して謝罪しなければならない。戦争犯罪に時効はない。韓国を、できるだけ早く、戦犯法廷に告発し、裁くことを提言する。
同じく、韓国は、日本の歴史認識を非難する前に、歴史の捏造をやめろと言いたい。自分たちの先祖の無為・無策・無能を隠すために、韓国併合を「悪」だとでっち上げた。韓国併合は悪どころか、世界史上の「善政」だった。日本は「内鮮一体」の「朝鮮統治」をしたのであって、「植民地支配」をしたわけではない。
絶滅の危機に瀕していた朝鮮民族をすくったのは日本である。日本は朝鮮半島の救世主である。ほめられてこそすれ非難されるいわれは断じてない。(以下省略)

以上が北岡兄弟の本の最初に書かれている。同書はプロローグ、「虐殺の証拠である慰霊碑を訪ねた」という16個の章、そして、エピローグで構成されている。ところが、北岡兄弟が「告発」する内容は、どうもあの兄弟が直接、独自に研究・調査したものではなさそうだ。韓国の「全教組」のような左翼・従北勢力が主張し、拡散させてきた内容と、北岡兄弟の告発は非常に似ている。
韓国にはベトナム戦争に対する小説、漫画、映画などがあり、そのほとんどは、戦争への嫌悪、個人的経験の一般化が基になったものだ。北岡兄弟のような人種主義者・軍国主義美化者が日本社会を代弁するはずがないのに、正論やSAPIOは内容をまともに検証せず、むしろそれを代弁し、拡散した。結果的に、韓国の左翼と日本の右翼が共同戦線を結んだことになる。
ベトナムに参戦した韓国の「猛虎部隊」
 北岡兄弟は自ら闡明したとおり、韓国軍、韓国人、韓国を憎悪し貶めるのが目的であるため、あえてベトナム戦争の本質、東西冷戦、現代史などには触れていない。兄弟は「この女大統領(朴槿惠)は人間の顔をした鬼畜である」、「卑劣で卑怯なのは民族の遺伝子である」という表現を随所で書いている。2人の精神世界の問題点は後に指摘することにし、まず、ベトナム戦争の歴史的性格と韓国の参戦経緯を客観的に見てみよう。
東西冷戦時代のベトナム戦争を簡潔に定義することは容易でない。そもそも戦争というのは対話(外交交渉)で解決できない対立と矛盾の衝突であるから、当然ながら交戦の当事者によって立場が違う。
韓国軍の派兵は韓国戦争(朝鮮戦争)が停戦してから11年後だが、韓国はベトナム戦に参戦する国家安全保障上の理由と名分が十分あった。韓国は韓米同盟を相互補完的に一層発展させるため、特に韓半島での戦争再発への最大の抑止力である駐韓米軍がベトナム戦場に送られるのを予防するための参戦だった。そして経済発展のための国際舞台への進出として、ベトナムに派兵した。
韓国戦争は、自由民主主義と全体主義・共産独裁が激突した歴史上初めての理念戦争だった。韓国は、米国をはじめとする参戦21カ国を含め、当時全世界の独立国家の3分の2にあたる67カ国の支援と支持を得て、スターリン・毛沢東・金日成の侵略を撃退した。
ベトナム戦争では、ソ連と中国と北韓が北ベトナムを支援し、米国は自由陣営である南ベトナムを支援した。韓国が米国の同盟国として参戦するのは当然であり、義務でもあった。
韓国軍のベトナム戦派兵を最初提起したのは朴正熙大統領だった。朴大統領は1961年の訪米時にケネディ大統領に韓国軍の派兵を打診した。米国の要請に応じて南ベトナムのために参戦した豪州、ニュージーランド、タイ、フィリピン、台湾などの参戦兵力は全部合わせても韓国の3分の1にも満たなかった。
韓国軍の戦闘部隊をベトナムに派遣する動議案が国会を通ったのは1965年8月13日。ちなみに、韓日基本条約の批准動議案が国会を通る前日のことである。韓国軍のベトナム派兵なしに韓米同盟の強化はなかったはずだ。
北岡兄弟をはじめ、少なからぬ人々がベトナムに参戦した韓国軍を米国の必要による派兵、つまり「傭兵」と認識しているが、それは誤認である。韓国は準同盟関係だった南ベトナム政府の正式派兵要請によって参戦した。韓国軍は現地で、米軍の作戦統制・指揮を受けてもいない。作戦指揮を受けない傭兵などいるだろうか。
北岡兄弟は、「今日の韓国の発展はすべて日本の援助のたまものである」と繰り返し主張するが、東西冷戦のとき日本が「政経分離」や「全方位外交」と言いながら、自由陣営の敵とも接触していたとき、北韓があるためアジア大陸から離れた”島国”になっていた韓国は、自由陣営の最前線で死闘を展開していた。
韓国のベトナム戦参戦は自主国防の基礎になったのはもちろん、最大60億ドルの経済効果があったといわれる。今日の韓国の世界進出は、まさにベトナム戦争がきっかけだった。
20世紀になって戦争の様相が総力戦になってから、戦争・戦闘の人的被害における軍と民間の区別は難しくなった。特に、軍服を着ていない武装人員によるゲリラ戦は、非対称戦であるため、伝統的な戦争ドクトリンや作戦概念は通用しない。近代兵器で武装した軍隊が原始的武装のゲリラに苦戦するのは、戦争そのものが非対称戦になっているためだ。
ベトナム戦争での韓国と米国は、戦略と戦術、作戦の運用で根本的な違いがあった。米軍は優れた火力と機動力を生かして敵(べトコン)の主力を捕捉・殲滅する作戦が中心だった。しかし、ゲリラ戦ではそういう戦略や作戦は効果的でない。21世紀になってイラクやアフガン戦争でも圧倒的な破壊力を持つ米軍がアルカイダのような貧弱な武装勢力を掃討できないのを見てもわかることだ。
韓国軍はベトナムで、米軍とは異なる独自の戦略・戦術でゲリラ戦に臨んだ。韓国は建国以来、南労党のパルチザンや北側の武装ゲリラと戦ってきた経験を生かして地域平定作戦を展開した。作戦の核心はゲリラと住民を分離することだ。住民と分離されたゲリラは水を離れた魚と同じだ。韓国軍による「民間人虐殺」問題が起きたのは、韓米のこの戦争ドクトリンの差によるものだ。
今もテロとの戦争で、最も悩ましいのは自爆テロだ。自爆テロ犯はゲリラと同じで、識別が難しい。ベトナム戦でも、道路などには無数の罠や地雷が仕掛けてあった。
多くの場合、べトコンは韓国軍(連合軍)を後ろから攻撃してきた。ジャングルだけでなく、村や田んぼなどから、通り過ぎた隊列に向かって銃弾が飛んでくる。
軍は攻撃されると反撃せざるをえない。相手は軍服を着ていないから、誰が敵なのか判別しにくい。ゲリラの陣地でもある地下トンネルは村中に張り巡らされている。トンネルを見つけて破壊するのが戦闘だった。トンネルの中にいた者はトンネルごと死ぬことになる。
そういう戦場環境で、非常にいたましいことであるが、民間人の犠牲が発生した。そのすべてを事後に虐殺と決めつけるのは乱暴だ。戦争では味方同士でも誤認して攻撃することがあるのだ。
ベトナム戦争で、最もたくさんの民間人を殺害(虐殺)したのはべトコン自身だった。南ベトナムの右翼人士を数えきれないほど暗殺・虐殺したのは、北岡兄弟が「解放軍」と讃えているべトコンである。
(続く。洪熒・本紙論説主幹)


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