大韓民国への反逆 その連鎖を絶て(15)

光州事態などについて目立つ無知な記述
日付: 2014年05月28日 00時00分

 康宗憲は矯導所で一緒に服役していた南派工作員・スパイを尊敬していた。彼は長期収容生活に適用する術を、例えば健康維持法などを、対南工作員たちから教えてもらって実践したという。そのことは自叙伝の中に誇らしげに書いてある。
康宗憲は、自分の受刑生活を革命闘争史観で整理している。光州事態についての見方もその典型だ。
北韓では毎年5月になると、韓国で起きた「5・18光州事態」を大々的に記念する。康宗憲自身の認識と説明について、自叙伝で光州事態に関する部分を見てみよう。
「全斗煥政権の下で、政治犯の構成には大きな変化が生じています。国家保安法違反の収容者が年毎に増加していたのです。(中略)こうした変化は、社会運動の発展過程を反映したものといえます。とりわけ光州市民のたたかいは、韓国の学生と市民に大きな教訓を残しました。日本と同じく、韓国もアメリカと軍事同盟を結び米軍の駐留を受け入れています。しかし、日本との大きな違いは、韓国軍の作戦指揮権を在韓米軍司令官(国連軍司令官を兼任)が保有している点です。光州の市民軍を鎮圧した空挺旅団は、在韓米軍司令官の許可がなければ移動できません。米政府が民主主義を求める市民ではなく、それを弾圧する戒厳軍を支持したことは、韓国の民主勢力に衝撃と覚醒をもたらしました。それ以降、アジアでも屈指の親米国家だった韓国で、反米運動が各地で展開されるようになります。アメリカ文化院への襲撃事件などが発生し、すべて国家保安法が適用されたのです」(自叙伝105ページ)
光州事態の性格や位置づけに対する康宗憲のこの記述は、平壌の対南煽動・謀略戦術を教科書どおりに写したものだ。康宗憲は大学教員の肩書きを悪用し、韓半島の事情をよく知らない人々に対して、あたかも事実であるかのように、嘘と捏造を平気で喋っているのだ。完全に平壌の代弁人だ。
康宗憲の図々しい嘘と捏造にはあきれてしまう。まず、韓国軍に対して作戦指揮権を持つのは在韓米軍司令官ではなく、「韓米連合軍司令官」である。そして、韓米連合軍司令官は、韓米両国の大統領の指示を受けることになっている。
日韓を比較するのも卑劣な謀略だ。休戦状態に対応している韓米同盟と、平和な状況下にある日米同盟は、環境や比較条件がまったく異なる。韓米連合軍の作戦指揮権を例示するなら、NATO(北大西洋条約機構)と比較するのが妥当だ。NATOも米軍将星である最高司令官が作戦指揮権を行使するからだ。
韓国軍空挺旅団、つまり特戦司令部は、韓米連合司令官の作戦指揮権の対象でない。韓米連合司令官は、特戦司令部のほかにも首都防衛司令部や後方に位置する陸軍部隊などに対しても作戦指揮権を持っていない。
光州事態の鎮圧に動員された部隊は、韓米連合軍司令官の作戦指揮権の対象外の部隊だった。つまり、光州事態鎮圧に対して米政府の許可がどうこうと述べるのは、まったくの無知か謀略なのだ。大学教員である康宗憲が、まさかこういう初歩的常識を知らなかっただろうか。
そもそも韓国が米国と連合軍司令部体制を維持している理由は、平壌が住民を飢えさせながらも、常備軍だけで人口の5%にあたる120万の兵力を維持し、その主力を南侵に備えて展開しているからだ。いわゆる「4大軍事路線」の第2に韓国への南侵を掲げたのは金日成であり、金正日がそれを継承してきたではないか。
南派工作員への厚い同志愛とは対照的に、康宗憲はアメリカ文化院への襲撃の嚆矢といえる金鉉奨に対しては、再審法廷で友人でもないと冷酷に否定する。
康宗憲は、「韓国の刑務所には若い軍人たちが駐屯しています。徴兵された新兵の一定数は、人員の足らない警察署や矯導所に派遣され警備の勤務に当たるのです」と書いているが、これも違う。これは代替服務である。
(続く)


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