大韓民国への反逆 その連鎖を絶て(12)

誰が戦略・戦術の具体的な行動指針を出したのか
日付: 2014年05月01日 03時25分

 康宗憲は自叙伝の中で13年間の獄中生活を振り返っているが、その割合は本全体の3分の1近くを占める。康宗憲自身が隠してきた彼の内面がわかるだけでなく、革命闘争の戦略・戦術なども垣間見られる興味深い内容だ。
自叙伝というよりは革命教養小説ともいうべきこの本が再審の法廷で証拠として採択されたら、無罪宣告はなかったかもしれない。
もっとも、スパイ嫌疑で起訴された華僑・劉家剛に対して国家保安法違反部分に無罪を宣告(4月25日)し、しかも被告人に愛国心も見られると述べた金興俊判事(ソウル高裁)のような裁判官なら、どういう証拠を提出しても通用しなかっただろうが。
康宗憲は、獄中生活記のいたる所で、反共意識を人間の良心に反するものと書いている。つまり、彼の「民主化」とは「容共」を意味し、自分は共産主義者であることを自認しているのだ。
康宗憲は拘置所で6年間収監されていたとき、ほかの囚人に「韓国社会の矛盾や民主化と統一の必要性を理路整然と話しても、相手にされなかった」(自叙伝80ページ)と記している。
「子どものころから彼がどのような反共教育を受けてきたのかを思うと、暗澹たる気持ちになりました」(自叙伝80ページ)
「学生の身分で拘束された私には、社会生活の体験は皆無です。それ故に、雑居房の生活では失敗も少なくありませんでした。ただ、その失敗が大事に至らなかったのは、この”ランドセルの紐が短い”(学校にはあまり通えなかった)彼のような人に守られていたからです」(自叙伝84、85ページ)
康宗憲は自ら社会生活の経験がないと告白しながら、一方では、韓国社会の矛盾を理路整然と説明して囚人たちに思想教養を執拗に試みた。この告白からも、康宗憲の観念的共産主義の正体や、彼が韓国に留学する前にすでに革命家としての世界観を持っていたといえるだろう。
康宗憲の獄中闘争記の中には、見逃せない複雑な秘密が暗号のように語られている。長くなるが見てみよう。

「残念ながら、私たち『在日韓国人留学生スパイ』たちは、こうした獄中の民主化運動に合流できませんでした。同じ政治犯でも、『黄色』(時局事犯)と『赤色』(公安事犯)には越え難い壁があったからです。国内の反独裁民主化運動は、あくまでも『国是(反共)』を前提にした運動でした。私たちはその枠を越え、北朝鮮の政権承認と平和共存、南北の二体制による連邦制統一といった志向性を強く主張していたのです。(中略)朴正煕政権の統治において、『黄色』は想定内の抵抗といえます。反政府運動ではあっても、反共を国是とする国家体制そのものへの挑戦ではないからです。だから、緊急措置違反者の刑期はほとんどが三年以下の短期刑でした。当時の韓国社会ほど、『朱に交われば赤くなる』という格言がリアリティーを持った状況もなかったでしょう。私たちが獄中の民主化運動に合流した瞬間、『黄』は『赤』に変色するのです。国内の民主化勢力が”赤い目”で見られることを極度に警戒し、慎重にならざるを得ないのは当然のことでした」(自叙伝86―87ページ)

康宗憲は、国内の反独裁民主化運動と自分たち(在日韓国人留学生スパイたち)は本質的に違ったと規定した。自分たち(自分でなく)は連邦制統一が目標であると宣言した。そして、国内の民主化勢力の獄中の闘争に合流したかったが、戦略・戦術上それを思いとどまったというふうに書いている。
ここで究明すべき問題がある。
いったい誰がそういう戦略・戦術的判断を下し、具体的な行動指針を出したのか、である。康宗憲の獄中自作曲を外に持ち出した朴炯圭牧師など大勢の「民主化勢力」は、この小さい悪魔たち、革命家たちに躍らされたのではないか。(続く)


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