韓国政府、4月3日を「済州4・3犠牲者追念日」に

保守系団体は「事件の性質変わる」と反対
日付: 2014年03月26日 00時00分

 韓国政府は18日、「各種記念日規定」改正案を閣議決定し、「済州4・3犠牲者追念日」を国家記念日に定めた。これにより、今までは民間レベルで行われてきた一部の追悼行事が、政府主催で行われる。
 政府が4月3日を国家記念日に指定する考えを明らかにしたのは今年に入ってからのこと。政府の立法化に向けての動きに対して「済州4・3真相究明国民会議」などの保守団体は、早くから反対を表明していた。
 1月20日には同団体らが主導して、ソウルで「済州4・3事件の性質」をテーマにセミナーが開かれた。セミナーに参加した韓国学中央研究院の梁東安名誉教授は、「4・3事件は、南朝鮮労働党が全国的に展開した2・7闘争から始まった」と述べ「2・7闘争は、南朝鮮労働党が国連決議による韓国地域での総選挙を阻止するために展開した暴力闘争」と規定した。
 ただし梁名誉教授は、不当に犠牲となった人々がいることにも触れ、追悼を政府が主導することで事件全体が「正義の抗争」と捉えられることを懸念している。
済州での抗議行動
 南朝鮮労働党は1946年11月に結成された共産主義政党で、1950年に北朝鮮労働党と合流。現在の朝鮮労働党になった。
 なお、韓国政府の決定により定められた特別法は、済州4・3事件を「1947年3月~48年4月に発生した暴動と、1954年9月21日まで済州島で発生した武力衝突と鎮圧の過程で住民が犠牲になった事件」と定義している。
 3月17日にはソウルで「4・3事件を正す対策会議」が発足。同会議は20日、済州道の4・3平和公園前で集会を開き、「済州4・3事件の真相が明らかになって、その性格の究明がなされるまで、4・3のすべての行事と犠牲者の追悼は保留すべき」と要求した。同公園には、「南朝鮮労働党の首魁級暴徒と、4・3暴動の一級暴徒の位牌」が1500あり、それを撤去すべきと対策会議側は主張している。
 対策会議側は済州4・3事件について「1948年5月10日に施行された大韓民国の建国選挙を妨害するために、南朝鮮労働党の共産主義者が起こした武装反乱事件」と説明している。
 社団法人「時代精神」の安秉直理事長も同様の立場で、「済州4・3暴動が韓国軍や警察による民間人犠牲事件であるかのように言われているのは、韓国の民主化勢力の中に4・3暴動と政治的に軌を一にする『人民民主主義勢力』がいるからだ」と指摘した。
 「大韓民国を守る仏教徒総連合会」の朴熙道会長は、2000年に発足した国家機関「済州4・3事件真相糾明および犠牲者名誉回復委員会」が事件の性格を変えたと主張する。
 同委員会が、警察などからなる討伐隊によって「数多くの住民が犠牲になった」とまとめたことを受け、03年に盧武鉉大統領(当時)が住民に謝罪。朴会長は「武装暴徒を掃討する過程で、住民の被害があったが、その性格やターゲットを正しく選別し、適切な追悼行事をするべき」と訴えている。
 「大韓民国への反逆 その連鎖を絶て」の連載はお休みします。


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