在日の従北勢力との闘争史 「民団は最初から共産独裁と闘争」

永住権獲得運動で朝総連を圧倒
日付: 2014年01月01日 00時00分

 在日同胞社会における民団の歴史は北韓をはじめ、朝総連、韓統連など従北勢力との闘争の歴史でもあった。祖国韓国の解放後、6・25戦争への在日学徒義勇軍の参戦から始まり、北送事業の阻止・反対運動、韓日国交正常化に伴う協定永住権獲得運動、民団正常化事業など、これまでの従北勢力との闘争の歴史を振り返ってみた。

①在日学徒義勇軍参戦と北送阻止運動

 朝総連の生い立ちを見ると、敗戦後、当初は日本共産党の指導を受けて、暴力的「革命活動」に参加した。
 その後、北に政権が出来てからは、平壌の指導に移って、北に盲従するようになった。その典型が北送事業だ。
 金日成は6・25戦争で南から10万人以上を計画的に拉致した。
 休戦後、「奴隷的労働力」として、日本や中国などからたくさんの同胞を北に連れて行った。朝総連は「地上の楽園」だと宣伝し、同族を生き地獄に送った。
 6・25戦争に在日学徒義勇軍642人を出した民団は最初から自由民主主義側に立って、野蛮な共産党独裁と闘った。特に北送阻止のため、命をかけて闘争した。

②韓日国交正常化と永住権獲得運動

 1965年韓日国交正常化を契機に、民団は、戦後の日本社会の左翼勢力の全面支援で影響力を増してきた朝総連に対して、反撃に出た。
 民団は、韓国国籍取得運動と協定永住権獲得運動などを展開した。
 もともと在日同胞の大半が、南韓出身だったし、北送事業の欺瞞性も明らかになり、朝総連を離れる同胞が急増した。
 民団による協定永住権獲得運動は1969年から1971年まで全組織をあげて行われた。
 民団による永住権獲得運動は、朝総連の悪辣な妨害工作もあったが、民団は獲得運動を全国的に展開した。その結果、有資格者56万人のうち、36万5000人という在日同胞の大多数が協定永住権の申請を完了した。
 民団と朝総連の登録者数は逆転した。

③民団の混乱と組織正常化事業

 70年代初頭、在日同胞が自由民主主義の方に流れるや、平壌と朝総連は、民団を丸ごと飲み込むための工作に取りかかる。
 いわゆるベトコン派を中心に、「民主化」を装った韓民統工作で、「反朴正熙闘争」を煽った。
 民団は、組織内の敵対勢力を排除し、平壌の対民団、対日工作を挫折させた。民団から追い出された韓民統(韓統連)は時間が経つにつれ、その正体をあらわにした。従北の元祖である朝総連が生んだのが韓統連だ。

④朝総連同胞の墓参団事業

 「7・4共同声明」を契機に南北は対話と対決を並行するようになる。
 政府は北側の宣伝に騙されないように朝総連系同胞の人道的母国訪問を許可した。
 民団は74年から墓参団運動を大々的に展開する。人道的墓参団を許可することで、韓国国籍を取らなかった朝総連同胞が離脱して、朝総連組織の基盤が雪崩を打つように崩れた。
 北側はこれに対抗するため、70年代後半から「短期祖国訪問団」を実施した。多いときには年間4000人以上が北を訪問した。朝鮮学校の修学旅行も強要した。
 しかし、北の思惑は裏目に出た。北の真実を見て、北は「地上の楽園」ではなく、「生き地獄」であるのが決定的に知られるようになった。
 自由民主と共産独裁との闘いで、自由民主主義の真実が勝利した。北は戦略的に負けた。この戦略的な負けを挽回するために、もっと対南工作に取り組むようになる。

⑤韓国社会の左傾化と在日

 ソウルオリンピック(写真)後、旧ソ連、東欧の社会主義圏が消滅する。これはソウルオリンピックを通じて、自由民主主義と市場経済の発展が社会主義圏に与えた衝撃によるものだった。
 東西冷戦時代にモスクワと北京は、共産陣営を総動員して、韓国を「暗黒」、「地獄」、「日・米の植民地」などと宣伝してきたが、その嘘が見事に崩れてしまった。
 そこで北は階級闘争路線を隠して、「民族共助」戦術に転換する。反共自由民主主義を軽視した韓国社会は、急速に左傾化し、本国に左翼政権が登場するや、死にかかっていた朝総連と韓統連が息を吹き返した。

⑥「河丙鈺事態」と在日社会

 90年代の半ば以降、北が大量餓死と大量脱北で瀕死の状態になったとき、韓国では思いがけなく親北政権が登場した。
 金正日が日本人拉致問題を認めたことで、朝総連と韓統連が窮地に追い込まれたとき、それを救ったのが親北政権だった。
 また、金大中政権の「6・15宣言」と盧武鉉政権の「10・4宣言」で民団社会は大きなイデオロギー的混乱に陥った。
 民団の中でも朝総連と仲良くしようとする風潮が蔓延し、遂に「河丙鈺事態」に至った。
 2006年5月当時の民団中央団長だった河丙鈺が、事実上の南北連邦制を画策し、朝総連と「5・17共同声明」に独断的に署名した。民団の有志が立ち上がり、河丙鈺を弾劾し退陣させた。
 張成澤の処刑で北の崩壊は始まった。民団68年間の従北勢力との闘争は、まもなく終わろうとしている。


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