【対談】金暎勲 × 洪熒 「再び問う 大韓民国」<上>

建国65周年の「メモリアル・イヤー」
日付: 2013年08月15日 23時38分

 2013年は韓国建国65周年と、6・25戦争(朝鮮戦争)休戦協定および韓米同盟締結60周年という節目の年だ。建国当初から戦争前後、そして現在に至るまで、韓国の指導者は誰と手を組み、どのように国を守ったのか。金暎勲・駐ワシントン本紙論説委員と、洪熒・本紙論説委員に聞いた。(聞き手=姜昌萬・本紙発行人)

金暎勲氏
 今年は韓国建国65周年と、6・25戦争休戦協定および韓米同盟締結60周年という節目の年だ。
 洪 大韓民国は共和国樹立以来65年間、戦争が続いている。大韓民国が勝利するためには、大韓民国の誕生と生存を脅かした決定的な事件と状况を振り返ってみることで、当面の国家的危機を克服する教訓を得なければならないと考える。特に、韓日関係が国交正常化後最悪の状況になっている根源的背景として、両国間の歴史観の違い、ないし普遍的価値観の共有がなかったことを指摘できる。その点で両国はまず、1945年以来の自分たちの正体性(アイデンティティー)や、それぞれ歩んできた道を振り返る必要がある。
 韓国人は自国の正体性を明確にしてこそ、韓日両国が国際社会に貢献する道も開かれると思うが。
 洪 韓国は非キリスト教文明の中で、未完ではあるが自由民主主義建国革命を経た唯一の国だ。アジアの未来を考えるとき、当面の最重要課題は、中国共産独裁体制の覇権追求にどのように対応するかだ。問題は、韓日両国がアジアに向けて、アジアに適した普遍的基準、モデルを提示できずにいる点だ。その理由は、アジアをリードする必要がある日本自身が自由民主主義革命を経ておらず、韓国は近代化革命などにもかかわらず、まだ建国革命を完成していないからだ。
 米国はこの問題をどのように見ているのか。
  米国では10年前には想像もできなかったほど、中国に気を使っている。米国は、過去にマーシャルプランなどの経済援助を通じて自由民主主義のブロックを作成したが、中国は今、過去の米国よりも多くの資金をかけながら、中国ブロックを作ろうとしている。ここに米国は注目している。東西冷戦時はブロックが2つだった。米国とソ連。自由民主主義ブロックと社会主義共産主義ブロック。今は3つだと米国の政治学者はいう。シリア、イラン、北韓の「悪の枢軸ブロック」と、その支援勢力。米国、英国、オーストラリアなどの「善のブロック」と、それを支援する韓国、日本など。そして状況に応じて有利な方に動くロシア、中国、EU、あるいは国連など。米国市民が不信や嫌悪感を抱くのは、一番がシリア、イラン。次にアフガニスタンと北韓、3番目が中国だ。
 米国は中国と、協力関係を築こうとしているのではないか。
  実際は敵と捉えている。アジアで米国と同じ道を行く国は、韓国と日本だ。1950年1月のアチソン長官の方針説明に見て取れるように、米国と日本は極めて重要な存在だ。しかし、日本の民主化を推進したマッカーサーは1945年、韓国がアジアで最も重要な国であり、韓国を中心にアジアの民主化をするのが米国にとって重要だと述べた。
  中国は超強大国に見えるが、70年代初めにはソ連が、80年代には日本が、すぐにでも米国を上回るといわれたことがある。EUも過大評価された。今の中国をG2と見るのも間違っているかもしれない。
  米国ではCFR(外交問題評議会)や「影の政府」(シャドウ・ガバメント)など目立たないさまざまな権力集団があることを計算に入れなければならない。世界を動かすのはやはり米国であり、その背後に影の権力集団がある。最も具体的に活動しているフリーメーソンのグループがコントロールする国には中国も含まれる。このような権力集団が戦争を決心すれば、米国と中国政府も動く。
  米国またはその見えない力は、主に自分たちが簡単にコントロールできる同盟国だけを相手にし、本当に危険な敵には無力であったり無関心だと思われるが。
  そうではない。韓国の建国過程でも、目に見えない熾烈な闘いがあった。後にソ連のスパイであることが判明した米国務省の実力者アルジャー・ヒスは、李承晩と韓国の独立を徹底的に妨害してきた。
洪熒氏
  6・25戦争の南侵直前、陸軍本部は敵の奇襲に対応するため10の具体的措置をとった。しかし何者かが警戒態勢を解除した。韓国軍の戦闘姿勢を組織的に崩して北の奇襲を成功させた反逆者を必ず探し出すべきだ。
  当時、陸軍本部の戦闘情報課長は柳陽洙少領、その上に姜文奉局長、蔡秉〓参謀総長、その上に申性模国防長官がいて、最高統帥権者は李承晩大統領だった。東京の極東司令部情報部長ウィロビー少将は、共産圈の動きを毎日報告していた。ウィロビーの部署の最高責任者は、米国の「情報の父」と呼ばれるOSSのドノバン長官だった。
 極東本部情報調査所は戦争が起きると事前に知っていたのか。
  陸軍本部戦闘情報課も当然知っていたのに、蔡秉德総長は重要な指揮官を替えて、6月23日には兵士を外出させた。6月24日、陸軍本部では一晩中酒盛りが行われた。柳陽洙課長は北韓の南侵情報の報告が完全に無視されると、李承晩大統領に直接報告するため景武台(当時の大統領府)に向かった。しかし途中で見回り兵につかまって陸軍本部に戻されると、江原道・横城駐屯の第8師団に情報参謀として赴けと転出命令が出された。
 ワシントンにも多くの情報があったはずだが、なぜ対応しなかったのか。
  韓国に駐屯していた米軍は4万475人いたが、1949年6月にすべて撤退して顧問団475人が残った。北韓が南侵するという情報が刻々と報告されたにもかかわらず、CIAは北韓が南韓を攻撃するには経済的・軍事的能力がないと判断した。
  李承晩大統領は、最悪の環境・条件の中で韓国と日本が共産化されるのを防いだ。李大統領はGHQに掛け合って、当時貿易しようにも外貨がなかった日本にドルを入れてもらった。6・25戦争は休戦により“熱戦"から“冷戦"に変わったが、南北対峙の中で確認できた北韓の戦略・戦術的な特徴は何だったか。
  共産主義の戦術のうち、最も多く使われるのが無秩序状態を作ることだ。そのために最も重要視されるのがフラクションだ。彼らは闘争の中心に根を下ろす。国会議員に当選すると、国会議員としての地位を持って活動する。平壌は宗教、軍事、学術、経済、マスコミ、政治などすべての分野でそれを用いる。
 戦争1年前に大隊長だった南労党フラクションの表武源と姜泰武が部隊を率いて越北した事件は衝撃的だった。
  トルーマン大統領は李承晩大統領にすぐに抗議し、韓国軍への武器供給を止めた。戦争を控え、韓国軍に武器の供給が途絶えた。
  制憲国会(1948年~50年)では、南労党のフラクションが13人摘発された。今の政界には平壤のフラクションである従北派が当時以上に増えている。
  解放直後、米軍政当局が韓国の共産党勢力を調査したところ、全国に登録された共産党員は6000人ほどだった。実際の共産党員は約60万と推定された。朝鮮日報と東亜日報が発行部数2万部だった時代、南労党機関紙の解放日報は60万部だったという。
 北韓は建国以来、彼らの赤化戦略に断固として対処した韓国の大統領3人(李承晩、朴正熙、全斗煥)の暗殺を試みた。平壌は左右合作攻勢で、ソウル五輪後は民族共助戦術で韓国を困惑させた。
  反共を国是に掲げた5・16革命が起こると、金日成はスパイの黄泰成を特使として南に派遣し、革命政府と接触を試みた。黄泰成をソウルに連れてきたのが、金大中政権で平和統一諮問会議首席副議長を務めた金〓河だ。しかし、黄泰成は逮捕されて死刑に処された。平壌は光州事態(1980年)で再度左右合作を試みたが、これも失敗に終わった。金大中政権時には、6・15共同宣言(00年)で「低い段階での連邦制」による左右合作を試みた。その後10・4宣言(07年)に「左右合作」の実践課題を明示した。
 洪 平壌の対南民族共助戦略は、韓国社会を効果的に攪乱し、2回も大きな成功を収めた。文在寅候補が大統領になっていたら完璧な成功を期待することができた。今平壌の左右合作・民族共助工作は、サイバー空間が主な舞台になった印象だ。


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